ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

大学生活を振り返って

1月に最後の授業が終わって以来、この記事を書こうと思っては筆を折る、ということを繰り返してきた。そうこうしているうちに梅の季節はとうに過ぎ去り、桜が咲き、卒業式まで終えてしまった。それほどに「大学生活を振り返って」というテーマで何事かまとまりのついた文章を書くことは困難だった。けれど、何やらこういう記事を書いておかねばならない気もする。4年間過ごした早稲田という場所で、様々な時を共有してきた友人たちに感謝の思いを伝えるためにも、あるいはそうした思いを忘れないためにも。

 

 

果たして「私の大学生活」なるものがあったかどうか、それはやや判然としない。通り一遍のことはやったと思う。サークル活動に勤しみ、そこそこ勉強して単位を稼いだ。酒で失敗もしたし、恋愛もした。思い返せば、そこには様々なパーソナルな思い出が詰まっているような気もするが、それはどこにでもある、ありきたりな「誰か」の大学生活でもあったような気もする。逆に、そのように「ありきたり」であれたことに心を落ち着ける自分もいる。

 

卒業にあたって、4年前の自分と今の自分が話したらどう感じるだろうかとふと考えることがある。「自分」はこの4年間で何が変わったのだろうか、変わってしまったのだろうか、あるいは変わらなかったのだろうか、と。

 

確かに思い返せば、何やら大きく変わった/変わってしまったような気もする。物事の見方、考え方は当然ずいぶん変わったし、人との接し方も変わったように思う。ストレスを酒で飲み下すことも覚えたし、欲しいものがあったら自分でバイトして、高校時代からは考えられないような高い物品を買うことも覚えた。こうした有り様は高校時代の自分からは想像もつかないものである、というわけではないけれど、相応に変わった自分を感じざるをえない。

 

一方、どうにも変わっていない自分もまた存在しているように思う。高校時代からの友人は頷いてくれるだろうが、この文体や話し方など高校時代からほとんど変化していないし、顔立ちや髪型だってほとんど変わっていない(と思う)。少し本を読み、いろいろな体験をして語彙やらなにやらが増えているけれど、たかがその程度の変化な気もするのだ。

 

 

このように考えてみると、「私の大学生活」なるものはますますわからなくなってくる。私の4年間とは何だったのだろうか、それを「振り返る」とは何なのだろうか、と。ここに、この記事を書きあぐねていた一番の理由がある。サークルのイベントでも学業上のなにがしかについてでも、私の大学生活のうちに起こった「出来事」を列挙することはできるけれど、それが「私の大学生活」なる「物語」の振り返りに足るのかは判然としなかったし、そもそも「私の大学生活」なる「物語」をおおっぴらに語る臭さに私自身が耐えかねていたのだ。早稲田という土地で、多くの新しくできた友人たちに囲まれながら為した物事を、単なる自己変容(発達といってもいい)の成功物語としてまとめることは、私にはどうにも抵抗がある。私の大学生活はそんな短絡的に物語化できるほどのまとまりを持たない、雑然としたものであったような気がするのだ。

 

 

恐らく、「私の大学生活」なるものを振り返ったときに、上で書いてきたようなことを感じる人は多いだろう。出来事を列挙するでもなく、あるいは共に過ごした友人の名前を出すでもなく、「私」の問題として雑然と「振り返り」を行おうとすると、そこには雑然と整理されていない「4年間」が顔を覗かせる。この「4年間」をどう扱うか、少なくともこのテーマで書き続けてきた私は苦慮し続けている。

 

ただ何にせよ4月になる前にこの記事を公開してしまいたい。そうしないと、大学の学部生活に一応でさえケリがつかない気がする。だから強引にまとめよう。少なくともここまで書いてきて改めて気づいたことは、「私」なるもの、あるいは「私の生活」なるものは何がしかの物語ではないという、思い返してみれば至極単純な事実である。「私」も「私の生活」も、出来事の羅列やステータス、人物の羅列でもって物語化して語り尽くせるほど、まとまりをもっているわけではない。それらは二度と繰り替えなさない物事として、雑然とそこにあったのだと思う。教室や図書館、サークルでいろいろな人達と語らいながら在った、あの一回きりの、かけがえのない時間はすべて、明確には位置づけられないけれど、私を創る、私にとっての「なにか」であったのだ。

 

 

 

思い返してみれば恥の多い大学生活であった。このブログの昔の記事を読むだけでもその未熟さと傲慢さには辟易するばかりだが、そうした恥さらし以外にも、平生色々な失敗をして、沢山の人に迷惑をかけた。大学生活なぞそんなものでいいのだと開き直ってみたりもしたけれど、やはり思い返すと1人赤面するしかない。けれど今、あえて列挙を避けた様々な、雑然とした出来事を振り返ってみれば、一つだけ言えることがある。それは、「私の大学生活」はよいものであった、ということである。もしかしたら他の道もあったかもしれないけれど、私がいろいろな人達と過ごしてきた、この「大学生活」なるものは間違いなくよいものであった。だから、ネットの片隅にわずかばかり感謝の念を書き留めておこう。これまでありがとうございました。これからも、どうぞよろしく。

 

 

最後に、ここまで読んでくれた後輩が何人いるかわからないけれど、まだ大学生活をすこし残した君達に少しばかりありきたりなアドバイスを2つ、書いておこう。

 

1つ目に、きちんと在ったことを残そうとすること。誰かと在った物事は本当に、もう二度とやってこない。その場では安易にやり直せると思うかもしれないけれど、残念ながらそんなことはめったにない。だから残しておこう。文章でも、写真でも、動画でもなんでもいい。どんなメディアを使っても、それらからはどことなく嘘っぱちな香りが漂ってくるけれど、それでも残さなければ、もう消えてしまう。嘘でいい。どうせ在ったことは雑然としているのだ。

 

2つ目に、何かをやろうとしてみること。誰かと飲みに行きたいと思っても、どこかに行きたいと思っても、なにかに取り組みたいと思っても、そこで立ち止まっていてはいつまでたっても何も起きない。やろうと思ったときにやってみること、これがきっと大学生活をちょっといいものにしてくれる。もちろん迷うことも立ち止まることもある。嫌なことも辛いこともある。だけど、そこでちょっと踏ん切りをつけてみよう。きっと何かが動くはず。

 

以上、私の大学生活らしい、ぐちゃぐちゃとした、振り返りらしい振り返りであった。