ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

喪うこと、記録すること

この記事は弔いと自らの感情の整理のために書いている。身内に不幸があった。そのために書いている。本当は表に、公の光に当てるような話ではない。けれど書いてみないとわからないのだ。難儀な性格である。ほとほと困る。しかし備忘録的に、残しておかないといけない気がする。

 

我々の生をどう捉えるか、という問題は非常に複雑な問である。何かにつけて避けて通れない。これには様々な捉え方があって、三者三様の「人生観」があるわけだが、「人生」と「喪失」の関係性について考えない人はきっといないだろう。

 

我々はみな、生まれるというかたちでこの世に現れ、分かちがたい個体としてこの世に場所を得て、やがてその場所を失っていく。その過程がどうであって、どの程度似ていて、どの程度違うのか、それは誰にもわからない。始まりと終わりがあること以外は誰も知らない。それがいつであって、全体の中のどの位置であるのかもわからない。

 

我々は生きていく限りにおいて、何かを得る代わりに何かを失う。知識であるかもしれないし、感性であるかもしれない。富、名誉、友人、恋人、親族、得ては失い、あるものは取り返しがつかない喪失を生む。直線的な増加は我々にはあり得ない。しばしば我々は、「あった」ことを懐かしみ、懐かしむという行為を通じて「いまはない」ことから少しだけ逃げようとする。逃げること、向き合うことを繰り返しながら明日を生きていこうとする。

 

我々は今を生きている、とは難しい言い回しである。「今」は過去があるからこそ生まれるものであるかもしれないし、次の瞬間があるから生まれるものなのかもしれない。ただ一つだけわかることは、「今」が一度しか無いということである。そして我々は、往々にしてその「今」の、一回性の楔を解いて、いくらかそれを永らえさせようとする。原初には絵によって、ついで文字によって、時代を下れば写真によって、あるいは映像によって。それは生きるための智恵であるかもしれないし、「我々」の存在ー過去から今まで一貫した「自分」ーを担保するためかもしれないけれど、ともかく本能的な感情である。これを「記録する」という。

 

喪うこと、当たり前にあったものが、私の前からすっと消え、ただ冷たい事実だけが提示されること、それを前にして私はどうすべきなのだろうか。もしそれを「残す」として、どう残せるのだろうか。あるいは残すことはできるのだろうか。そもそも残すべきなのだろうか。

 

不幸の時というのは案外いろいろ忙しい。親類、故人の知人、その他もろもろが入れ替わり立ち替わり現れ、故人に思いを馳せる。それだけの観相的な場であるならいいが、実務的に考えると、様々な場をセッティングし、遺影を選び、花を揃え、諸々を取り仕切らねばならない。矢のごとく、非「日常」的な時が過ぎ去り、物質的な形でそれを「残そう」という選択肢は浮かばない。もしかしたらその一挙手一投足が、残されるべきものなのかもしれないのに。

 

よく考えてみるとこれは、非日常の場合に限らない。「日常」と呼ばれる類のことにも、あるいは「子ども時代」とか「青春」とか呼ばれる類のものにも言える。我々は日々何かを失っている。誰かと何気なく交わしたあの一言は、あの表情は、あの瞬間は、もう二度と帰ってこない。失ってはじめて、それがなくなったことに気づく。「記録」を眺めてみても、恣意的に脚色されたものしか多くの場合写っていない。

 

「記録写真」という言葉と「記念写真」という言葉がある。「記録」という場合にはありのままを写すというニュアンスが込められ、報道写真の類に主に用いられる。「記念」という場合には、何かの場を記念し、多くの場合、象徴化されたプラスの感情を写すというニュアンスが込められ、七五三や成人式の写真の類に主に用いられる。この違いから言いたいことは一つだけ、我々はしばしば、「記録」しようとして「記念」しているという事実である。

 

例えば人の写真を撮る。相手が撮られることをわかっている場合、その人は顔を作る。シャッターを切る方もわかっていて、相手がいい表情をした瞬間にシャッターを切る。相手が気づいていない場合でも、シャッターを切る方は無意識に相手の顔を選び、自分の思った通りの顔をするまでじっと待つ。目をつぶった瞬間、ふとした表情、「汚い」ものは基本的に記録されない。選び取られた、「記念」的感情だけが残される。

 

少し距離を置いて気づくことがある。その場を「記念」したものは、だいたい似たような写真である、文章であれば似たような文体である、ありきたりである、ということである。それは我々が、記録するものを無意識に、そして社会的な価値観のもとに選んで、「記念」しようとしているからであろう。葬式は悲しいものだし、結婚、出産は喜ばしいものだし、勉強は真面目くさった顔で取り組むものなのだ。

 

喪うこと、記録すること、この間には大きな差がある。本当に「記録」できるのだろうか。「記録」ではなく「記念」すべきなのではないだろうか。曖昧なまま受け継がれるからこそ、喪失には一個の、代えがたい強烈さが伴うのではないだろうか。

 

 

話を少しだけ変えよう。しばしば、大きな問題になる事がある。「亡骸を撮る」行為である。荒木経惟という「私写真」に生きる天才エロオヤジ、もとい写真家がいるが、彼の妻陽子が亡くなった時、彼はその亡骸を撮った。これがもとで篠山紀信と大論争を繰り広げた話は、しばしば語りぐさになる。

 

それでも写真を撮り続ける。荒木経惟の人生と写真家としての覚悟

 

彼の写真を見ると、私が今まで書いてきたことがなんとなくわかる気がする。(例えば上記の記事)私の、この記事における表現をもってすれば、私には、彼の写真は「記録」的なもののように思われる。徹底的な私事の記録。それを「見る」行為には、フーコーパノプティコン的構造といった娯楽、あるいは権力の構造、一方通行的な視線の構造がある。だから私たちはそれを喜々として、感じ入ったような視点で見ようとするわけだけど、逆に気付かされる。その、娯楽として「見られる」側にはなれないし、なろうとしない自分のエゴイズム、サディズムを。

 

 

弔いの記事である、といったからそういう話もしなくてはならない。そしてそれがまとめになる。私は故人を記録できていなかった。そして最後の姿も、記録することはできなかった。「思い出」はある。けれど、もはや思い出せないことが多くあることに気づかない訳にはいかない。突然だった。それは辛く、精神的にも、物質的にも冷たい現実だった。残せなかったものが多くあったことを、私は喪ってから気づいた。

 

私はどうしたらいいか、まだそれはわからない。私の性分を考えると、これからの色々もまた「記録」できず、「見る」ことしか出来ないように思う。けれど許してほしい。一回性の事実から、こぼれおちる多くのものを繋ぎ止められなかったことを、繋ぎ止めようとしないことを、どうか許してほしい。私は故人を残せなかった。けれど見ることはできたのだ。故人のことは忘れない。どんどん忘れていくけれど、忘れない。悔しさつのる、しかし悔しいことが悪いことなのかわからない、複雑な弔いの情である。