ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

徴兵制と教育

昨日の夜だったが、こんなニュースが飛び込んできた。

 

www.huffingtonpost.jp

 

フランスで1ヶ月の徴兵制を復活させるらしい。「徴兵制」などというフレーズを聞くと「戦前回帰か!」などと過剰反射したくなるがおそらくこの徴兵制の意味合いは少し違う。確かにお隣韓国の徴兵制などは、直接的に戦争に備えた兵力増強のための徴兵であるが、軍事技術のハイテク化が進む現代戦にあってたかが1ヶ月の徴兵で「戦力」になる兵士が作り上げうるとは考えにくい。私が見立てるところ、この徴兵制は「教育」的目的によるものである。そうなると私もいろいろ考えなければならなくなってくる。

 

ところで、この徴兵制のニュース、調べてみると欧米メディアでは昨年3月にすでに話題になっている。例えばロイターの以下。

in.reuters.com

 

マクロン大統領は昨年の大統領選の際にはすでに、2001年に廃止された徴兵制の復活を唱えており、今回トゥーロンでの演説のメインテーマは「軍事費の大幅増額の宣言」であって、徴兵制の実施は、宣言とは別予算で実施することを再確認した程度らしい。簡単に言うとマクロンが大統領になった時点で実施はほぼ決まっていた、という話である。お恥ずかしい話ながら、私も全くフォローしていなかった。

 

さて、フランスがなぜこのご時世に徴兵制を復活させるのか、先程指摘したとおり高度に軍事技術がハイテク化した現代戦において、戦力となる兵士の養成には多額のコストと時間が必要であり、「戦力増強」という意味で徴兵制は時代遅れの制度となって久しい。徴兵制復活の理由(必要)について、ロイターが報じるところによると、マクロン大統領は次の2点を挙げている。

 

① 国民と軍隊との関係強化

②  フランスの「民主主義」をより弾力的(resilient)で団結した(united)ものとするため

 

冒頭で指摘したとおり、ある種の「教育」的目的を元にこの制度が復活されようとしていることがわかる。では、徴兵制が持つある種の教育的効果とは何か、それはなぜ徴兵制によって果たされようとしているのか、考えていこう。

 

 

私自身、戦後平和を享受し続けてきた日本で育ってきたため、「軍隊教育」などはおよそ経験しないまま今日まで生きてきた。せいぜいが中高で学ランを来ていたくらいだが、そこでの教育は「軍事的」「保守的」とはおよそ対極のリベラル(風)なものであった。だから、徴兵制で一体何が行われるのか、想像でしか話すことは出来ないし、だからここで述べる教育的効果も想像でしかない。簡単に言うと妄想である。しかし、妄想ではあるがあまり外していないものだと思っている。

 

徴兵制を敷くことで、国家に住む全ての若者は「軍隊」というところに入隊する。(一部徴兵制国家では徴兵の代わりに公共奉仕をすることで代替できるらしい) そして、日々共同生活を営みながら、様々な知識、技能、態度を叩き込まれる。実際に戦争を意識した知識、技能、態度であるから、「規律正しく生活し、行動すること」「調和を維持するよう務めること」「状況に応じて即座に判断すること」「全体のために奉仕すること」などが、様々な訓練、共同生活の体験を通じて教え込まれるものと考えられる。

 

軍隊における教育は、私が思うところ学校教育よりも極めて束縛的で合理的に行われる。軍隊に入隊した人々のプライバシーは一定期間強く制限され、全体の中の一員としてのみ扱われる。軍隊における教育で「失敗」があった場合、それは実際の戦闘での敗北、戦闘員の消費(戦死)、ひいては全体の敗戦へと繋がりかねない。いわば、軍隊という組織の生命線であるから、極めて切迫した形でそれが行われ、合理化への要求も強い。

 

 

さて、軍隊教育の教育効果と合理的側面について確認した。一応確認しておくと、この場合の「効果」には価値観を含まず、ただ、Aという状態のものを、軍隊教育が、Bという状態へ変化させる「効果」をもつ、という程度の意味である。その変化が、良いとか悪いとかいう話ではない。また、私は軍隊教育による教育効果の全てを「善い」ものであると承認したわけではないことを確認したい。それを踏まえて、なぜ今徴兵制なのだろうか。そこで生まれる効果は学校では代替できない類のものなのだろうか。

 

マクロン大統領が指摘するように、現代は、テロの脅威が日増しに高まり、移民問題、中東問題、ポピュリズムの台頭などが連鎖的に起こる「混乱」の時代である。冷戦の崩壊とともに、「大きな物語」が失われ、「我々」という共同体をつなぎとめる核がなくなりつつある。人々は、「個」として社会に放り出され、「個」の没落は自己責任論によって社会的構造から切り離されて考えられるようになる。我々は、本来我々の生活の維持と最も深く関わりがあるはずの共同体の維持へと興味を失い、民主主義は先の時代にも増して機能不全に陥らんとしているようにも見える。新たな時代において、共同体統合の「核」を探した時に、それは左派的に言えば「世界市民的自意識」や「正義への志向」であって、少数者を排除し、正義を重んじない自己中心的な共同体は必要ないのかもしれないが、現実問題として、「今」国をまとめ、社会を持続させていくために、もう少し具体的で分かりやすい共同体への意識が必要となっているのだろう。

 

教育の場面でも、左右両派の議論の中で、時に「シティズンシップ教育」と言われたり、時に「道徳教育」と言われたり、あるいは時に「宗教教育」と言われたりするよな、一個の道徳意識、価値意識、アイデンティティを育む教育議論が盛んになっている。一時期、各地域、各学校に分権化され、競争原理のもとに合理化が目指された教育行政システムは、再度集権的に各国で統合されつつある。こうした流れは見方によっては戦前回帰ともとれるが、もう一方の見方をとれば、新しい時代を切り開くために必要な「核」づくりのためともとれる。しかし、こうした教育内容は、個人主義が進む現代にあって、個人にとって必要性が明確に感じにくくなっていることを背景に、個人の「要求」を元にした教育が難しいなどの理由から、必ずしも効果的な方法を提供できているわけではない。

 

こうした時に、「徴兵」を行い、強制的で合理的な軍隊という組織で「教育」を行うことは、ある種の国家統合において「望ましい効果」を生むことになる。我々のうち、自発的に、自らのプライバシーを捧げ、あるいは自分の時間を割いて「奉仕」しようとするものはそう多くはいない。短期間であれ、国の制度として強制的にそういった場に人々を置き、「経験」させることは、なるほどマクロン大統領の言うような、民主主義を強固で団結したものとするための、公共的精神の涵養に資する効果があるのだろう。それは、学校によるよりも、より直接的で合理的、かつ恐らく効果的な方法による。故に「徴兵制」の必要が唱えられているのである。

 

また、そもそもの国防的な要請がこうした徴兵制への要求に拍車をかける。人々が共同体維持への関心を失えば失うほど、国防の要である軍隊への理解も失われていく。一方、現代社会では、テロ対策、ロシアの再度の台頭など国防に対する緊張度は日増しに高まり、軍事力強化の基盤づくりがよりいっそう求められるようになっている。また、こうした緊張感高まる情勢の中で軍事力の強化は外交上のプレゼンス向上により大きく貢献することになり、国際社会における一定の発言権確保にもつながる。「徴兵」は全体への奉仕の精神を培うとともに、直接的に軍事力強化の基盤を提供することにもなる。

 

 

徴兵制については、もちろん様々な疑義が呈される。まずすべての若者を短期間であれ、全ての私的関係から切り離し、軍隊へと加入させることに伴う種々のコストである。そもそも、その1ヶ月によって例えば大学卒業が1年遅れるなどして、社会に出るタイミングが遅れるかもしれない。あるいは、若者という貴重な労働資源を1ヶ月失うことは、社会全体にとって即時的なコストを強いることにもつながるだろう。また、そうした大量の若者を受け入れる軍隊の側も、より多くの人員、設備を割かなくてはならないから、当然コストも大きくなる。果たしてこうしたコストに見合った政策的効果は得られるのだろうか。

 

また、そもそも根本的に、軍事力強化に対する一定の疑義が存在する。果たして軍拡競争は我々にとって利益になるのだろうか。もちろん軍事力強化はそのまま、技術開発に対する強いインセンティブを提供するから、新技術の到来を早めるかもしれないし、国家の国際競争力強化につながるかもしれない。国際社会でのプレゼンスを維持、向上させていくことは、安全保障上の安定性を確保するだけではなく、経済的にも大きなメリットがあるかもしれない。しかし、軍拡に必要な膨大なコストは、果たしてそれに見合った便益をもたらすのだろうか。更にそもそも論として、我々が軍拡を進めることは、本質的に我々全体に対して「善い」ことと言えるのだろうか。

 

 

我々の社会には「必要悪」と呼ばれるたぐいのものがある。すべての物事は本質的な「善悪」だけでは判断できない。様々な評価軸によって、あるいはそれを判断する文脈によって「正否」が相対的に決定される。だからこそ「徴兵制」もまた、反射的な嫌悪感ではなくきちっと検討されねばならないものである。

 

私は徴兵制を日本でも導入せよ、と論じている気は毛頭ない。現状の日本では、メリットよりもデメリットのほうが大きい制度だと個人的には考えている。しかし、そこに潜む意味を掘り下げて考え、果たして全否定されるべき制度なのか、何か部分的にであっても、我々が住むこの日本という社会に必要とされている側面はないのか、きちっと検討すべきである。フランスは、様々な側面を考慮した上で、思い切りをつけて「徴兵制」に踏み切った。その顛末、及び事後を観察、分析しながら、否定的にではなく、批判的に考えていくことが求められているように思う。