ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

ある塾講師への弔辞

先日、私の塾時代の恩師の訃報に触れた。私が卒塾した直後、末期癌が発覚したのもしっていた。けれど、余命があと半年と言っていた割に随分精力的に様々なテキストをネット上にアップロードし続けていたし、迎えが来るにはまだかかるんだろうと勝手に高をくくっていた。けれどどこかで、もう彼に会えないことも予感していた。

 

いざ訃報に触れると一体どうしていいのかわからなくなるものである。彼には結局、私が彼の期待に添えなかったことを伝えに言って以来、ついに会えなくなってしまったのである。まだなんだろうと、勝手に高をくくって彼に会いに行かなかった自分を責め、同時に後悔の念に包まれた。彼の期待に添えなかった私が、彼の言っていたことを少しでも理解しようと大学で勉強し続けるうちに、私の中で彼の存在感はどんどんと大きくなっていっているのに、彼は逝ってしまった。

 

私自身、随分こんなタイトルの文章を誰の目にも触れうるこんな所に書き残すべきなのか迷った。しかし、どうしても、インターネットの片隅に残しておきたかった。これは、不出来な、おそらく先生の記憶の端っこにも残っていない、一生徒の、自分勝手な決意文である。もう、こんな身勝手な生徒を優しく怒鳴りつけてくれる先生はいないのだから。

 

 

拝啓  kymst先生

 

私が、先生と初めてお会いしたのは、高校2年の冬でしたか、私が勉強が出来るとかできないとかそんなお話にすらならない程未熟なときでした。今思えば、当時扱っていった問題は随分基本的で簡単なものだったのに全く歯が立たず、随分背伸びした所に来たなと思っていました。教室で躍動する先生は、今まで接してきたあらゆる先生の中で最もやかましく、自信家で、そして圧倒的でした。

 

受験期、先生とは基本的には週1度お会いしていました。いつも新宿の校舎の決まった教室、決まった席で、1年間、先生を眺めていました。あるいは、私は随分未熟で不出来だったのに、先生見たさに先生の開講する集中講義は全て受講していました。講義内容はどれも高度で、明解で、充実していました。おかげさまでほんの少しだけ、物事がよく見えるようになりました。

 

先生は、数学を生業として、数学を教えていらっしゃいましたが、残念ながら私は数学の問題が解けるようにはなりませんでした。もちろん、先生に習い始めたときから比べれば、信じられないほど難解な問題も解けるようになったけれど、それもまた十分なレベルではありませんでした。ひとえに、私が不出来で不真面目なせいであります。しかし、先生が同時に教えようとしていた-と勝手に私が早合点している-こと、生き方、ものの考え方については数学より少しだけよく、自分なりに消化できました。そしてこのことが、今も、事あるごとに私の頭の中を駆け巡り、私を叱咤し続けているのです。

 

先生の境遇は随分、「普通」ではありませんでした。先生が学んできた思想も、先生が取り組んできたことも、当時はおぼろげであったけれど、今ならば少なからずよくわかります。そして学べば学ぶほど、先生に圧倒され、そして先生が正しく「先生」であったと、納得することになるのです。

 

先生は紆余曲折を経て、結局、我々のような、あの高い塾費を払いうる家庭に生まれ、東京とその周辺に暮らし、多くの場合私立の中高一貫校に通う、「ブルジョワジー」の子弟を訓導される立場に落ち着かれました。そして、その傲慢な子弟たちの鼻っ面をへし折り、エリート主義を、多くの子弟たちの心には届かないエリート主義を叩き込もうとされていました。

 

エリートとは、一体どうあるべきなのでしょうか。私は先生に習い、大学に入った後もずっと考え続け、そしてそれについて考えるたびに先生の姿が脳裏をよぎりました。私は先生が、先生こそが敬愛すべきエリートであったと信じているし、そして、そのエリートとしての生き様が私の、生き方のロールモデルとして強く印象に残っています。

 

先生はよく、仮初の、「勉強ができるやつ」を口汚く罵られました。彼らは物事の本質のわずか初歩のところも分かっていないと、そう叱責されました。あるいは、わずかに勉強ができても人間としての礼がなっていない人のことを、「一宿一飯の恩義も知らぬやつ」と吐き捨てられました。その姿は痛快でもあり、しかし、その指摘は私にとって深く響くものでした。

 

最後の講義、それは高校3年の冬季講習の最終回であったと思いますが、そこで先生はテキストを早めに終わらせ、我々に語りかけられました。曰く「正義に肩を怒らせ意固地になる間違った強さではなく、他者のことを思いやれる、そんな真の強さ、優しさを身に着けた大人になりなさい」と。この言葉は、字面は確かによくある人生論、倫理観であるかもしれませんが、先生の生き様と合わせた時、今なお私を深く戒め、導いてくれるそんな言葉となっています。

 

私は、「エリート」になりたいと、今強く思っています。私は不出来で不真面目ですから、テストで点数をとるなんて簡単なことも満足にできないし、外国語が特に不出来だから、いわゆるエリートの要件からはかけ離れてしまっています。それでも、先生に憧れ、巨人の肩に登り、世界を眺めたい、そして先生の言うような強い大人になりたいと、そう思っています。私は傲慢で、自分のこともろくに省みられないからこんなところで自意識を吐き出し、あるいは弱い人間だから、こうして先生を当身にしながら公衆の面前で宣言しないと自分がやらないのではないか、とそう不安になってしまいます。

 

そろそろ自分語りは止めましょう。先生、私は先生とお会いするという幸運に恵まれ、本当に幸せ者であったと、心から思っています。そしてその思いは今になって益々強くなっています。先生はかっこよかった、男として、人として、私は先生を心から尊敬しています。先生は、その人生を戦い抜かれた。私の知る限り、息もつかず、戦われた。せめて、これからは安らかにお眠りください。そして、不出来で傲慢な教え子を見守っていてください。先生、本当に本当に、ありがとうございました。

 

教室中央、前から3列目の左側に座っていた男子生徒より