ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

中学受験に思う ~他者ができること

1年間に何度か、若輩者ながら昔に思いを馳せ感傷に浸る日がある。2月1日もその1つ、首都圏の主要私立中学校の入試が始まる日である。競争社会の大海原に漕ぎ出していく子どもたち、本来彼ら/彼女らには似つかわしくない箱の中に何百何千時間と詰め込まれ、けれどどこかに子どもらしさを残した、チグハグな子どもたちと親の一大競争イベントである。私自身、私の生きてきた年数から見れば随分前の今日この日、それを経験した。

 

中学入試当日のことをそこまで鮮明に覚えているわけではない。途中で志望校を変えたこと、自宅から比較的遠方の学校だったことから塾や小学校の友達も、顔を見知った先生も会場にはいなかった。筆記用具と受験票と、理科の用語集のようなものだけ持って臨んで、何やら必死に取り組んだことは覚えている。終わって自分が通っていた校舎に顔を出して雑談して帰ったことも覚えている。2日はもう小学校に行っていたし、世に言う受験に全身全霊で取り組んでいるような、そんな子ではなかった。帰ってきたら無事合格していて、そのまま進学した。

 

思い返せば中学入試は随分無理をして臨んだように思う。通っていたスイミングスクールも最後までやめなかったし、小学校は受験日1日を除いて休まなかったし、公文も6年生の夏まで続けた。塾は一番たいへんなときは週5日あって、水泳も減らしたとはいえ週3日練習があった。この時点で週7日という計算が合わない。それがそこまで苦でなかったあの頃の自分を思い出すとただただ羨ましくなるばかりである。

 

私は言い訳がましい自堕落で通っていて、とても真面目な受験生ではなかったし、講師にもほとほと迷惑を掛けた。けれど結果から見れば2年近く対策をして合格した。共働きの両親は黙って月謝を出し続けてくれて、勉強のことをとやかく言われることもなく、それどころか塾で遅くなる自分の送り迎えまでしてくれて、必要な時は欠かさずお弁当を作ってくれた。親とは本当にありがたいものである。

 

 

今年、私は講師ではないながらわずかばかり中学入試を垣間見れる立場にいた。今日、受験に向う彼らを見て特に感傷に浸っていた。意外だったのは、彼ら、受験という、いわば社会の残酷に立ち向かう彼らが一様に晴れやかないい表情をして会場に向かっていったことである。緊張した面持ちの子も、いざとなれば笑顔を見せて会場に消えていった。私自身が飄々としていたことは覚えているけれど、大学受験のときの回りの受験生よりよっぽど彼らのほうがいい顔をしていた。

 

親もまた思い思いに子どもたちを送っていた。親と別れなければならないギリギリのラインまで付き添っていって子どもを抱きしめる親、もう6年生なのに親自身の不安を隠すようにがっちりと子どもの手を握って校門をくぐっていく親、むしろ、頑張ってこいと、校門の手前で肩を叩いてそそくさと子どもを送り出し帰っていく親、ただ一様に子どもよりずっと顔がこわばっていて、余裕のあるように見えてもどこか不安で、もはや自らの力の及ばないところに子どもを送り出す、一種の寂しさと恐れを噛み締めているようだった。

 

受験生応援に来ている講師は要領をわきまえている。皆、「最後までやりきれよ」と型通りに、目線を合わせて激励する。実際に教えた生徒を激励するときはもう少し長く、愛情を込めて激励する。そして子どもは笑顔になる。もはやこれしかできないことを彼らはわかっていて、それを忠実にこなす。

 

試験会場に消えていく子どもたちの背中には、彼らがまだあまりよくわかっていないほど大きな期待がかかっている。彼らはそれを笑顔で振り切り、旅立っていく。いくらポスト学歴社会を主張しようが、基礎的な知的能力に様々な能力が左右される以上、子どもの能力を社会的に認めるシステムが「学歴」であることに現状代わりはなく、親子ともども、「学歴」という我が子へのお墨付きを求め、あるいは与えることに腐心する。その競争は個人の能力、それも中学入試の場合は特に生まれ持った能力と、家庭の経済状況で戦われる「平等」からは程遠いものである。親は、どんどん高度化している子どもの学習内容についていけず、ただ「専門家」を頼り、お金をかけ、日々生活の世話をし、期待を注ぐしかなしえない。如何に崇高な家庭教育の方針を掲げていても、この従属的な構造は拭えない。

 

 

教育学をやっている人は、すぐに受験を残酷だ、いますぐ競争を緩和すべきだという。曰く子どもの発達段階に即しておらずいびつな教育構造を産むだとか、親の過度な期待や受験への専心-価値一元化-は子どもの価値形成過程を歪め、病める子どもたちを作り出すと。あるいは、社会の中で大人もあれこれ言う。曰く受験はその子の社会的に評価されるべき能力を写さないと、あるいはあんなことに時間を捧げ子ども時代を謳歌しなかった自分が恨めしいと。一様に正論で、一様に無責任な言説である。

 

確かに子ども時代は一度しかない。その時間は長く、世界は無限に広いように感じ、自らの可能性に心躍らせ、日々遊びまわることだってできる。未経験の様々な物事を全身で受け止め、時に喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。かけがえのない友達を作って、「大人」の軽薄さに立ち向かう。絵に描いたような美しい子ども時代は誰にでも期待され、そして多くの疎外者を生み出す。あるいは、そんな子ども時代を忘れてしまった大人たちによって疎外される。こんな話をしていると、以前も引用したが、DAOKOの「ないものねだり」のサビ、「迷子の大人たちが子どもになりたがっている。迷子の子どもたちが大人になりたがっている。」という歌詞を思い出す。

 

結局、もはや子どもの成長を見守っていく我々は、一体何ができるというのだろうか。私が教育学的言説において無責任だと断じた大きな理由は、それが崇高で如何様にも解釈できる理念を掲げるばかりで、明日具体的に何がしてあげられるか、無念な「親心」の観点が不足しているからである。心理学的に見て幼年期の自己肯定感や他者への基本的信頼の感情は親からの無制限の愛情によって培われると言われるが、「学校」というハコモノに子どもたちが収容されていくと、そこはいずれ競争社会にならざるをえず、親の愛情は歪んでいく。子どもは他の子どもたちと彼らの身の丈に合わない社会的価値を比べ合い、多くは荒んでいく。家庭や教師がそれを癒せれば幸運で、そんな期待すら持てない子どもが数多くいる。「親心」は多くの場合そうした競争を助長し、あるいは子どもの有るかわからない「未来」を考えればそれを助長せざるを得ない。もはやそこに教育学的価値が入り込む猶予など殆ど無い。だから逆説的に、その猶予を見つけ挿し込んでいく取り組みと、猶予をなんとか拡大する具体的で目配りの効いた価値形成が重要になる。簡単に言うがなかなかできることではない。

 

私は、プラグマティズム以前の、純哲に近いところの教育哲学が好きである。それは結局、ありそうな、かっこいいお題目の唱え合いであるところが多く、頭脳体操の観すらある。ただ現実に立ち戻るといつも、もはやこうした哲学の限界を感じる。随分前からなのかもしれないが、哲学無き時代、というよりはもはや哲学が処方箋となりえない時代が日々深まっているように感じる。そうした時代にもはや憤りではなく、寂しさの方を大きく感じる。中学受験生のチグハグな様を見て、ただこんなことを考えてしまう時点で、私は残念ながらもう子どもではいられない。