ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

二人の恩師

本当は別の記事を書こうと準備していたのだが、とある件から小林哲夫の『高校紛争』を読んでいて本稿について記したくなってしまった。

 

私は、とりあえず生まれてから大学学部生である今に至るまで、多くの先生に習い、幸いにして「恩師」と呼べる素晴らしい先生方に数多く恵まれた。その中で私は特に2人の恩師を取り上げたい。一人は中・高時代の恩師であり、一人は大学受験時代の塾の恩師である。前者はK先生、後者はY先生である。私の知人であればピンとくるかもしれない。

 

K先生とY先生、記憶が正しければ学年が一つ違うのみで都立の某高校の同窓であるらしい。ただY先生は所謂「高校紛争」に加担し、退学処分になっているから学内ですれ違ったことすらないかもしれない。私は活動家という存在が大嫌いなのだが、どうにもこのY先生には頭が上がらない。あるいは同時代を知るK先生の昔話にも嫌に感じ入ることがあったことを記憶している。私の通っていた学校は、記憶が正しければ都内で最も多くの退学者を高校紛争期に出した学校であるし、よくわからないシンパシーもあったのかもしれない。ともかく、高校紛争について語ると長くなるので割愛する。

 

まずK先生の話から始めたい。彼は地理の教師であり、我々の学年主任であり、私を地理大好き人間に仕立てあげた張本人である。彼は、そのオタッキーとも言える豊富な諸分野への知識で我々を楽しませてくれたが、そのふわっとした語り口で我々を常に眠りへ誘っていた。私もご多分に漏れず授業の半分くらいは睡眠学習に興じていた記憶もあるが、ともかく、私の尊敬する先生の筆頭である。

 

彼を恩師の筆頭に上げた理由は、諸々あるが、これ!というものはあまりない。第一学年主任というものは、一般生徒と担任らよりはるかに関わりの薄い役職である。たまにある学校行事と授業以外でほぼ関わりがなかったのも事実である。しかし、なぜだか強く記憶に残っている。恐らく彼の生き様に憧れたからであろう。

 

彼は、確か修士号を取得後、私の母校の教員となり、30年以上教鞭をとっている教師である。「歴史」にすぐ感じ入ってしまう私だから、彼の話す思い出話が何より好きであったのもあるだろう。しかし、彼の持つ、恐ろしいまでの雑学が好きだったに違いない。彼は教鞭を取り始めて以降も自主的に研究を続け、あるいは様々な見識を深め、鼻につくエリート校の生徒たちを凌駕し続けてきた。彼の手書きも交えた700ページにも及ぶ講義プリントは、よもや一朝一夕で作られるものではない。一人の教師として、彼は最も尊敬できる人物であった。

 

 一つ、彼に本当にお世話になったことがある。大学受験も終盤になると、地理の論述題を多く解かねばならないようになる。一体彼にどれだけ採点し、個別指導を頂いたかもはや失念してしまったが、膨大な時間を私のために割いてくださった。「受験」という枠組みに限らず、彼の指導が私の今の学識に及ぼした影響は計り知れない。

 

私は、得てして、目もくらむような膨大な努力と知識を持つ人間に弱いらしい。K先生はその筆頭として、私の目指すべき教育者像として強く心に残っている。

 

 

さて、次に移ろう。Y先生の話である。彼に習った、わずか1年の、週1回の講義は私の恐らく生涯にわたって強い影響を及ぼし続けるに違いない。強烈で、毒舌で、果てしなく頭がよく、どうしようもない自己矛盾を抱え、しかし誰よりも熱心な教育者であった。彼は数学を講じていたが、数学という枠に限らず、彼の人間性は多くの受講者に訴えかけるものがあった。たかが塾講師、しかし素晴らしい教育者であった。

 

こんな文章を書いたことがバレるとY先生にひどく軽蔑され、侮辱の言を賜るに違いないが、彼も病気でもはや教場から引かれた身、ご容赦いただきたく思う。甘ったれた大学生の、大甘な大学受験の思い出の発露である。

 

Y先生は、確か哲学の博士号をお持ちであったはずである。高校は、扱いについては存じあげないが中核派に加担し、暴力行為で中退、吹き荒れる学園紛争の流れの中でみなし成人でムショに放り込まれ、高卒認定をくぐり抜け某日本で最大の学部の哲学科に入学された。その後どこでPh.D.をおとりになったのかは知らないが、東大で教えていたこともあるらしい。紆余曲折あって某大手塾の数学講師に落ち着き、大げんかの末私の通っていた塾に転任した。某大手塾の内部の人に名前を言ったら、苦虫を噛み潰したような顔をされたので相当有名らしい。受験数学的な話をすれば、確率の漸化式を立式する際に用いる「遷移図」の記法は彼がアメリカから輸入したらしい。

 

彼の教育者としての原点は間違いなく、1968年-70年に吹き荒れた「高校紛争」にある。受験主義の否定、教養主義教育の敷衍、エリート意識の自己否定と反動、教師及び学校権威への反発。彼ほど徹底して自己の思想を教育に具現化している人を私は知らないし、あるいは彼ほど自己矛盾を内在させている人を私は知らない。私が出会った中で間違いなく1番頭がよく、そして圧倒的に弁が立つ彼ほどの手腕をもってせねば、自己の思想を具現化した教育を行えなかったのかもしれない。

 

まず、彼は「教科課程」というものを完全に無視していた。彼は、別に課程外の内容の習得を強要はしなかったが、多くの「範囲外」とされる解法も解説した。記法についてもなるべく学問としての数学に通用するような記法(論理記号の使用等)を行い、真に学問の入り口としての後期中等教育を一人孤独に実践していた。私の場合、彼の教育は数学では残念ながらなく、哲学を学ぶ際に非常に役に立っている。

 

彼はまた、事ある毎に、「学校教師」という存在を批判した。高校紛争の折、決定的に深まった生徒と先生の溝を回顧してのことかもしれない。頭の良すぎる彼からすれば「何もわかってない」教師が、教師であるというだけで権力を振りかざし、議論もないまま生徒の要望を握りつぶす。生徒の行動を押さえつけ、一部の生徒を血祭りにあげれば校内問題は解決すると思っている教師の欺瞞を心底憎み、「人」に向き合わず、高学歴OBという「商品」を作ろうとする教師に憎悪感があったのだろう。高校紛争、管理教育、校内暴力、見かけだけの「ゆとり」化、イジメへの教師の不手際、隠蔽体質、未だに生徒という個人に向きあおうとしない教師に、彼はほとほと教師に絶望していたに違いない。

 

彼は、ちょっと勉強ができる程度で調子に乗るエリート()も痛烈に批判した。彼は、所謂ブル教育を痛烈に批判していた身であろうし、名門高校→名門大学→一流企業(または官僚)と作り上げられるエリート()を心底嫌っていたに違いない。彼は、小手先だけの勉強で「大学」という組織に入り、何の意識も持たないまま怠惰に大学生活を過ごし、自意識も持たぬまま社会の歯車として組み込まれ、何らの認識も持たぬまま他者を虐げる多くのエリートが許せなかったのだろう。事ある毎に、自らの壮絶な学びの体験を聞かせ、我々を奮い立たせた。勉強することの大切さと辛さを真に私に教えてくれたのは彼である。

 

彼は、しかし、あまりにも大きな自己矛盾を抱えていて、そこでもがいていた。彼は、結局彼が心底嫌う「教師」になり、彼の心底嫌う「エリート」を作り上げるのに加担していたことは事実である。彼がどう論を講じようが、伝わらない受講者は多いだろうし、あるいはそれに絶望していたのかもしれない。どんなによい授業をしても、できの悪い私のような生徒が生まれていくことに悲観していたのかもしれない。彼は恐らく、この自己矛盾を受容し、僅かな、彼の思う真のエリートを作ることにのみ注力していた。彼は、彼の持てる全てを投入して、彼の思う真のエリートを教育することを望み、しかし彼は受講者全員にその全力を投入し、一切差別しない事を決意していた。全部私の妄想であり、こんな駄文が見つかったら間違いなく絶交されるだろうが、1割位はあたっているはずである。

 

彼の最後の講義で、彼が最後まで残った受講者に送ったメッセージが未だに心に残っている。「人として、肩張った強さではない、誰に対しても優しくある真の強さを持った人になりなさい」という言葉がそれである。できの悪い我々受講者に向けて、これだけはと伝えたかった、彼の自省が詰まったメッセージであったのだろう。この言を思い出すたびに、彼の講義で彼が伝えたかったことの更に内面にまで想起してしまうものである。

 

私は、彼に「最高の教育者」という賛辞を送りたい。彼は教育者が備えるべき能力を全て備えていた。他を圧倒する圧倒的知識・教養と素早い思考力、自己の講義に対する自信と激烈ながら生徒を深く思いやる気持ち、我々を引き込む弁論術と人間性。あるいは、彼は自分が忌み嫌った「教育」に対して、アンチテーゼとして自己の全てを投じて最高の教育を創りあげたのかもしれない。私の中等教育課程の総仕上げとして彼の講義を受けることができたことは至上の幸福であった。

 

Y先生に対しては、まだまだ書き足りないくらいであるが、ここで筆を置く。今への影響が明示的に強いがためにY先生に多くの文量を割いてしまったが、彼のそれを受け取り自分なりに咀嚼できるまでに育て上げてくれた両親や幾多の先生方には感謝してもしきれない。

 

両先生とも、もはや退官なさり、彼らの薫陶を受けた生徒がもう生まれないかと思うと残念でならない。彼らに習えただけ、私は幸せものであった。私の学問的動機は、私のこの幸福をなるべく多数に共有しようと言う欺瞞に満ちたものであるが、あながち悪いものでもないと自己弁護している。ともかく、あまりにも回りくどいが、彼らに謝意を伝えたくてどうしようもなくなってしまったのである。教育はやはり善的なものである。

 

 

→私がY先生の薫陶を受けすぎて書いてしまった駄文

 

→これもY先生の影響が大きい

 

→K先生のせいで書いてしまったと言っても過言ではない