ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

地理教育を再考する

友人と暇だったので日本地理学会の公開講座に遊びに行ってきた。教育学の徒として「地理教育」などというワードに釣られたわけだが、期せずしてなかなかおもしろい話を伺えた。そこで提示されたデータで一つ、講演を聞きながら頭を抱えたものがある。

 

学芸大の荒井正剛先生が、「社会科教科教育法」の授業中行ったアンケート結果であったのだが、氏によれば、「ムスリムが1億以上の国」を4カ国正答できた学生は全体の数%で「パキスタン」「バングラデシュ」を記述できた学生は男子で数名、女子は一人もいなかったというのだ。(n=108、うち男子72、女子36)

 

また、「ムスリムが過半数の国」を応える設問で、「エジプト」や「インドネシア」を回答できた学生でさえ全体の6割に満たず、「マレーシア」を回答できた学生は2割に満たないであったという。

 

天下の学芸大学の、社会科教員志望の学生の正答率がこれである。頭を抱えて0.5秒位思考を止めてしまうには十分なデータである。高校時代、地理オタクと世界史オタクを兼業していた私からすれば、信じられないの一言に尽きる。あまりにも初歩的な、地理的感覚、世界史的感覚の欠如である。たとえ日本史を選択していたとしても、高卒レベル学力を有しているならば、過去に中学や高校で地理や世界史などは必ず履修しているはずであり、教員志望者たるものに決して許容されるレベルの認識欠如ではない。

 

高等学校の社会科の教育課程において、地理がトレンドであるとは言い難い。最大の原因は入試で使える大学・学部が少ないことに起因する。第一志望以外の他大学や他学部を受験することを考えれば、日本史や世界史を選択することが無難であり、地理を社会科の第一科目として選択することは極めてリスキーである。このような状況下において、高等学校における地理教育は軽んじられ、その教育レベルは地に落ちている。

 

では、地理を学ぶメリットとはなんだろうか。先述の「ムスリムが1億以上の国」という問いからその可能性を考えてみる。まず、「ムスリムが1億以上の国」を正しく記述する上で、各国のムスリムの割合が軽く頭に入っていなければならない。まず、「イスラームはアラブ地域に傑出した地域宗教である」などという認識を持っていてはこの問題の門前にも建てない。次に、各地域の大まかな人口スケールについての認識が必要となる。主に気候や農業形態が関連するが、温暖多雨な東南アジア地域は、高温乾燥なアラブ地域と比べて人口が圧倒的に多い。最後に歴史の勘案が必要となる。インドとパキスタン(と東パキスタンバングラデシュ)分裂の歴史的経緯は世界史学習で繰り返し焼き直されるところである。また、インドネシアイスラーム化の歴史も少々細かいがセンター試験レベルであろう。このような思考を通じて答えを導くことができる。

 

恐らく、学芸大の回答者のうち、最後の世界史的知識を知っているものはそれなりにいたのだろう。彼らは、その世界史的知識が人口や空間概念と結びついていないだけなのだと私は信じたい。他の、「インドネシアやエジプトではムスリムが人口の過半数を占める」ことを知らない学生たちに関してはもっと深刻である。恐らく地理的常識も世界史的知識も欠如し、日本史一本で「地歴」の免許を取得しにきたのだろう。知識自体は今後取得していけばいいかもしれないが、高校の課程を修了しているものとしてはかなりお粗末である。僅かな大学での時間の中で、こうした「常識」や「考え方」が一切ない状態から教師として教えるレベルまで成長するには相当困難な道のりとなるだろう。ちなみに「ムスリム最多地域は、西アジアを除くアジアである」という正誤問題の選択肢を正答できたものは全体の15%程度である。なんということだ。

 

地理では、もちろんイスラームの文化などというものにも触れるが、それが発達した土地背景、産業背景などにも肉薄して学ぶ。世界各国の気候や土地、農作物、鉱産物、産業、風土、人の変遷などの学習をすすめ、様々なデータや地形、都市様態を見てそれの成因や未来について推察力を鍛えあげることが地理の一面的な真髄であろう。まとめれば、地理とは、この地球上の、文化と人々の基盤と様態を学ぶ学問である。歴史がhis storyであるように、世界史や日本史は全て「人」の物語である。「人」が織りなしてきた物語を読むのに、舞台設定がわからないまま読んでいったのでは、物語の理解は大変に軽薄なものになる。ぐろーばりぜーしょんの世の中にあって、他者理解のためには、その土地、気候、産業、歴史、宗教への、そしてなにより人々への認識が不可欠である。この感覚を育む上で地理という科目は大変に有用であると私は考える。

 

 

では、どのように地理教育を振興するか。これはかなり難しい問いである。現状、採点コストの関係から、まともな地理の問題を受験生に問えているのはほぼ国立各大学のみである。間違っても「メキシコの陸地面積を次の選択肢の中から選べ」なんて問題が地理であるはずがない。(某W大学で実際に出た)そもそも、地理学は日本では冷遇されがちで、学問探求の基盤自体が貧弱であり、一般レベルで地理という学問に対する認識がほとんどない。某宗教法人チックなK大学で地理が出来ない時点でお察しである。

 

私は、一つの妥協案として現代社会(笑)を提示したくはある。そもそも地歴科ではなく公民科であるところが笑いどころであるが、一応ぐろーばりぜーしょん下における他者理解の土台くらいは用意してくれる、はずである。しかし、his storyを読む手がかりとして、今の社会を、政治を、宗教を読み解く認識としてはかなり弱い。少なくとも中高教員になる層やそれよりも更に上流で国の未来を担っていくことが期待される層にはやはり、なんらかの形で上質な地理教育が供給されなくてはならないと考える。まさに階級別教育を推奨する言説であり、戦前の再来と言われても仕方ないのだがこれについては長くなりすぎるので割愛する。

 

私はここまで、一通り絶望してみせ、知識のない学生を煽り抜き、空虚な妥協案を示してきたが、要は地理って楽しいよな!ということを強くいいたいのである。地理がわかれば新幹線の車窓にあって地形や住居形態や点在位置、その土地の産業を推察するだけで何時間でも過ごせる。歴史の諸言説を読んでもそれを様々な土地や気候、人口や人種、宗教などの問題と結びつけて多面的に考察できる。ニュースを見れば、歴史などと並んで、地理で学んだ知識が私の理解を深めるのを助けてくれる。少なくとも私にとってこの行為は、大変愉快な行いなのだ。