ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

教育

AO入試を考える

Twitterで随分前だが一つのツイートが流れてきた。 先日お会いしたある研究者の方が「AO入試枠は最小にしたい」と仰っていた。「裕福な家庭で予め文化資本に恵まれて留学経験やボランティア実績やらがある子ばかり入学させてたら、教育現場でも格差は開く一…

教育ポエムを考える

世の中には、「教育ポエム」がありふれている。こう断定的に始めるのも時には悪くあるまい。教育議論はしばしば「教育ポエム」によって錯綜し、一層見えにくく無意味で、あるいは「どっかで聞いたよそんな意見」といったような状況を現出しがちである。 さて…

中学受験に思う ~他者ができること

1年間に何度か、若輩者ながら昔に思いを馳せ感傷に浸る日がある。2月1日もその1つ、首都圏の主要私立中学校の入試が始まる日である。競争社会の大海原に漕ぎ出していく子どもたち、本来彼ら/彼女らには似つかわしくない箱の中に何百何千時間と詰め込まれ、け…

給付型奨学金を考える -上西小百合議員の発言を受けて

Twitterで発された1人の議員の発言が燃えている。無所属の上西小百合議員の給付型奨学金に関する発言である。教育学をかじる無学の徒からすれば彼女の発言も、あるいはそれに反射的に反論し炎上させているTwitter民の反応も同様に物足りない。お互いそもそも…

教育にできること ~トランプ選挙を受けて~

今日、すなわち2016年11月9日はBrexitのその日と同様歴史に記録される日になるに違いない。我々若者世代が経験した、最も劇的で、最も悲観的な選挙結果に直面することになるとは、昨日まで想像さえしてこなかった。 Twitterなどでは随分茶化したが、私などの…

「学校」の果たす役割

意見が固まらないからこのブログを記すのみで、このブログのいちいちの言説は全て戯言に過ぎず、不勉強ながら語りたいという欲求を我慢できず吐き出しているものに他ならない。日々感じた違和感を整理するために記している物と思えばわかりが早いだろう。 近…

アクティブラーニングを考える-中教審「審議まとめ」発表を機に

去る8月1日、文科省の中央教育審議会教育課程企画特別部会に提示された次期学習指導要領に関する審議まとめが公表され、各紙の一面を飾っていた。だいたい謳われていることを参照すれば「アクティブラーニングの普及!」「外国語教育の強化!(小学校中学年…

教育学に関する幾つかの問い-教育学を学ぶということ

大学は絶賛テスト期間中であり、こんなところでいくら書き連ねていたところで単位は来ないのでなんとか回収に四苦八苦しているのであるが、教場試験で積み重なる不完全燃焼感をなんとか発散してしまわないと今後の勉学に差し支えると自己正当化し、この記事…

「大学」はどうあるべきか

以前、こんな記事を書いたことがある。 私学の雄はどうあるべきかなんてサブタイトルをつけながら現状を批判し続けるだけの記事であったが、もう少しまじめにあるべき論を語りたく思う。ちなみに私の興味分野は本来的には、「高等教育」というよりは「中等教…

バカ田大学に物申す ~私学の雄はどうあるべきか~

kmt総長が各方面からディスられて久しいが、中々今のW大学はひどい。低能未熟大学(本学某教授談)と双璧を為す私学の雄であるはずだが、どうにも「私学」である誇りなどホコリ程もないらしい。そもそも「教育再生実行会議」なんて御大層な国の会議の座長は…

教育にできることをまじめに考える

サークルの新歓行事も終わりに近づき、着々と新入生のフォロワーが増えていく中で果たしてブログを続けるメンタルが持つのか自分でも怪しいが、とりあえずまだいけるはずである。今日は「教育ができること」をまじめに考える。(ちなみに今教育とうったら敎…

二人の恩師

本当は別の記事を書こうと準備していたのだが、とある件から小林哲夫の『高校紛争』を読んでいて本稿について記したくなってしまった。 私は、とりあえず生まれてから大学学部生である今に至るまで、多くの先生に習い、幸いにして「恩師」と呼べる素晴らしい…

現代のエリート論

Twitterがサークルの新入後輩諸氏にフォローされ始めてますますこのブログの存在が浮いていくのを感じるが特に気にしないこととする。 のーぶれすおぶりーじゅなんて言葉がたまに流行る。字面は非常にかっこいいから、中二病をこじらせたDK(男子高校生)あ…

「大学入試制度改革」への一所見 ~理想の入試とは何か~

少し前の事になるが、文科省内「高大接続システム改革会議」が最終報告書をまとめ、珍しく教育系の記事が新聞の1面を飾っていた。当日の読売新聞3面の記事の書きっぷりがあまりにも非一貫的でこれが天下の読売新聞教育部かと悲嘆に暮れていたのだがともかく…

大学における「多様性」の欺瞞

多様性について、論じたばかりであるが、今度は大学における「多様性」の欺瞞について考える。 「大学は、様々な人々が集う多様性に満ちた空間です!」などというウリ文句がある。なんとも欺瞞に満ちていると私は思う。少なくとも日本第二位の学生数を誇るW…

「女性は子どもを2人以上」発言の校長が退職した件を考える

「女性は子どもを2人以上」発言の校長が退職なさるらしい。発言内容やその後の経過は、おググりいただければいくらでも出るので省略するが、この問題も「保育園落ちた日本死ね!」問題並に滑稽である。稚拙ながら私の思考を書き散らす。脳裏の落書きの保管場…

暇であることの教育的効果

暇である。暇でなければ毎日こんな長文を著せるはずもない。少しばかりの予定はあるが、それにしても暇である。暇なふりをしている時もあるが基本的に暇なんである。 世の中の人々のうちには、仕事でもないのに毎日予定がぎっしりの人がいる。昼までバイトし…

地理教育を再考する

友人と暇だったので日本地理学会の公開講座に遊びに行ってきた。教育学の徒として「地理教育」などというワードに釣られたわけだが、期せずしてなかなかおもしろい話を伺えた。そこで提示されたデータで一つ、講演を聞きながら頭を抱えたものがある。 学芸大…

受験志向の進学校について

図書館でほぼ寝かけながら、Twitterを眺めるという至極非生産的な行為をしていた時にすごい画像を見つけてしまった。「翠嵐高校」などでツイッター検索すれば出るかと思う。 神奈川県立翠嵐高等学校の進路指導資料だという。まず高校入学時の15の若者を「タ…

国立落ち私大文系の話

ほとんど最初のブログ記事がこんなものでよいのか大変に甚だ疑問であるが、書きたいのだから仕方ない。掃き溜めは元来そういうものだ。私は、所謂国立落ち私大文系である。相応にコンプレックスがあり、相応に今の環境に満足している。そんな私の思い出話と…