ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

哲学

祈る行為とは何か

祈りとは世界の意味についての思考である。 ウィトゲンシュタインの言葉であるが、オツムの悪い私にはその界隈の哲学的経緯を追い切るだけの集中力も地頭もない。ただ祈りという行為にはすこぶる興味がある。そういう頭の悪さを吐き出すのがこのブログである…

自らを表現するということ

個人的に専門外の内容で今最も熱いテーマが「自他はどう表象されるか」である。我々は実に多くの表現手法を持つが、それらは果たして自らを正しく表しているのだろうかとかそこら辺である。 実を言えば、「アイデンティティ」について書いたり、「言葉」につ…

批判のお作法

世の中はたちの悪い批判もどきで溢れていると、常々思う。特にひどいのが2chやTwitterで、目を背けたくなるような罵詈雑言が日々行き交っている。上記のようなゴミの掃き溜めでどんな議論が為されようが正直どうでもいいが、真剣な議論の場でさえしばしば言…

私が私であるということ

アイデンティティという語がある。また、本ブログでも度々取り上げるがモラトリアムという語がある。カタカナ言葉としてこれほど浸透している語も他に見当たらないのではないかと思うくらい両語は日本語の中で相応の地位を得ている。 「ようは自分ってなにも…

暇であることの教育的効果

暇である。暇でなければ毎日こんな長文を著せるはずもない。少しばかりの予定はあるが、それにしても暇である。暇なふりをしている時もあるが基本的に暇なんである。 世の中の人々のうちには、仕事でもないのに毎日予定がぎっしりの人がいる。昼までバイトし…

言語化という病理

私的言語を論うなという話は以前以下のエントリーでしたが、今度は物事を言語化するということが如何に虚無的であるかについて私感を述べる。 semicrystaline.hatenablog.com 我々は、日々生きていく中で我々の体験を言語化し、具体化することが求められる。…

「保育園落ちた日本死ね!」問題の滑稽さについて

巷で「保育園落ちた日本死ね!」というエントリーが話題をさらって久しい。遅きに失した感があるが、事の顛末が滑稽過ぎてあまりにも面白いので、自分の言葉で書き表したくなり、記す次第である。ここは掃き溜めである。私的言語が許されて然るべきなのだ。…