ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

哲学

なぜブログを書くのか~このブログについて

私は思考し、自分の思考を伝達しようと意志する。するとただちに私の知性が技巧(art)をもって何らかの記号を用い、それを組み合わせ、構成し、分析する。こうして1つの表現、1つのイメージができあがる。それは、以降の私にとって、1つの思考の―すなわち非…

共に生きることについて

誰かと共に生きる、ということがこれほどまでに大きな問題となった時代は稀であるかもしれない。日々、「私」とは異なる予想を超えた価値観、生き方を持った「誰か」が提起され、彼らとどう共に生きるかが問われ続けている。こうした問題はしばしば、「共生…

哲学書を読むということ

私は、一応人文系学問を志すものとして、「哲学書」と評される書物にあたることも数多い。先日友人が哲学書の話をしているのを聞きながら、そういえば「哲学書を読む」という行為は幾分特殊な行為であると一人考えた。今回はそんな、哲学書を読む時の話であ…

祈る行為とは何か

祈りとは世界の意味についての思考である。 ウィトゲンシュタインの言葉であるが、オツムの悪い私にはその界隈の哲学的経緯を追い切るだけの集中力も地頭もない。ただ祈りという行為にはすこぶる興味がある。そういう頭の悪さを吐き出すのがこのブログである…

自らを表現するということ

個人的に専門外の内容で今最も熱いテーマが「自他はどう表象されるか」である。我々は実に多くの表現手法を持つが、それらは果たして自らを正しく表しているのだろうかとかそこら辺である。 実を言えば、「アイデンティティ」について書いたり、「言葉」につ…

批判のお作法

世の中はたちの悪い批判もどきで溢れていると、常々思う。特にひどいのが2chやTwitterで、目を背けたくなるような罵詈雑言が日々行き交っている。上記のようなゴミの掃き溜めでどんな議論が為されようが正直どうでもいいが、真剣な議論の場でさえしばしば言…