ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

ある塾講師への弔辞

先日、私の塾時代の恩師の訃報に触れた。私が卒塾した直後、末期癌が発覚したのもしっていた。けれど、余命があと半年と言っていた割に随分精力的に様々なテキストをネット上にアップロードし続けていたし、迎えが来るにはまだかかるんだろうと勝手に高をくくっていた。けれどどこかで、もう彼に会えないことも予感していた。

 

いざ訃報に触れると一体どうしていいのかわからなくなるものである。彼には結局、私が彼の期待に添えなかったことを伝えに言って以来、ついに会えなくなってしまったのである。まだなんだろうと、勝手に高をくくって彼に会いに行かなかった自分を責め、同時に後悔の念に包まれた。彼の期待に添えなかった私が、彼の言っていたことを少しでも理解しようと大学で勉強し続けるうちに、私の中で彼の存在感はどんどんと大きくなっていっているのに、彼は逝ってしまった。

 

私自身、随分こんなタイトルの文章を誰の目にも触れうるこんな所に書き残すべきなのか迷った。しかし、どうしても、インターネットの片隅に残しておきたかった。これは、不出来な、おそらく先生の記憶の端っこにも残っていない、一生徒の、自分勝手な決意文である。もう、こんな身勝手な生徒を優しく怒鳴りつけてくれる先生はいないのだから。

 

 

拝啓  kymst先生

 

私が、先生と初めてお会いしたのは、高校2年の冬でしたか、私が勉強が出来るとかできないとかそんなお話にすらならない程未熟なときでした。今思えば、当時扱っていった問題は随分基本的で簡単なものだったのに全く歯が立たず、随分背伸びした所に来たなと思っていました。教室で躍動する先生は、今まで接してきたあらゆる先生の中で最もやかましく、自信家で、そして圧倒的でした。

 

受験期、先生とは基本的には週1度お会いしていました。いつも新宿の校舎の決まった教室、決まった席で、1年間、先生を眺めていました。あるいは、私は随分未熟で不出来だったのに、先生見たさに先生の開講する集中講義は全て受講していました。講義内容はどれも高度で、明解で、充実していました。おかげさまでほんの少しだけ、物事がよく見えるようになりました。

 

先生は、数学を生業として、数学を教えていらっしゃいましたが、残念ながら私は数学の問題が解けるようにはなりませんでした。もちろん、先生に習い始めたときから比べれば、信じられないほど難解な問題も解けるようになったけれど、それもまた十分なレベルではありませんでした。ひとえに、私が不出来で不真面目なせいであります。しかし、先生が同時に教えようとしていた-と勝手に私が早合点している-こと、生き方、ものの考え方については数学より少しだけよく、自分なりに消化できました。そしてこのことが、今も、事あるごとに私の頭の中を駆け巡り、私を叱咤し続けているのです。

 

先生の境遇は随分、「普通」ではありませんでした。先生が学んできた思想も、先生が取り組んできたことも、当時はおぼろげであったけれど、今ならば少なからずよくわかります。そして学べば学ぶほど、先生に圧倒され、そして先生が正しく「先生」であったと、納得することになるのです。

 

先生は紆余曲折を経て、結局、我々のような、あの高い塾費を払いうる家庭に生まれ、東京とその周辺に暮らし、多くの場合私立の中高一貫校に通う、「ブルジョワジー」の子弟を訓導される立場に落ち着かれました。そして、その傲慢な子弟たちの鼻っ面をへし折り、エリート主義を、多くの子弟たちの心には届かないエリート主義を叩き込もうとされていました。

 

エリートとは、一体どうあるべきなのでしょうか。私は先生に習い、大学に入った後もずっと考え続け、そしてそれについて考えるたびに先生の姿が脳裏をよぎりました。私は先生が、先生こそが敬愛すべきエリートであったと信じているし、そして、そのエリートとしての生き様が私の、生き方のロールモデルとして強く印象に残っています。

 

先生はよく、仮初の、「勉強ができるやつ」を口汚く罵られました。彼らは物事の本質のわずか初歩のところも分かっていないと、そう叱責されました。あるいは、わずかに勉強ができても人間としての礼がなっていない人のことを、「一宿一飯の恩義も知らぬやつ」と吐き捨てられました。その姿は痛快でもあり、しかし、その指摘は私にとって深く響くものでした。

 

最後の講義、それは高校3年の冬季講習の最終回であったと思いますが、そこで先生はテキストを早めに終わらせ、我々に語りかけられました。曰く「正義に肩を怒らせ意固地になる間違った強さではなく、他者のことを思いやれる、そんな真の強さ、優しさを身に着けた大人になりなさい」と。この言葉は、字面は確かによくある人生論、倫理観であるかもしれませんが、先生の生き様と合わせた時、今なお私を深く戒め、導いてくれるそんな言葉となっています。

 

私は、「エリート」になりたいと、今強く思っています。私は不出来で不真面目ですから、テストで点数をとるなんて簡単なことも満足にできないし、外国語が特に不出来だから、いわゆるエリートの要件からはかけ離れてしまっています。それでも、先生に憧れ、巨人の肩に登り、世界を眺めたい、そして先生の言うような強い大人になりたいと、そう思っています。私は傲慢で、自分のこともろくに省みられないからこんなところで自意識を吐き出し、あるいは弱い人間だから、こうして先生を当身にしながら公衆の面前で宣言しないと自分がやらないのではないか、とそう不安になってしまいます。

 

そろそろ自分語りは止めましょう。先生、私は先生とお会いするという幸運に恵まれ、本当に幸せ者であったと、心から思っています。そしてその思いは今になって益々強くなっています。先生はかっこよかった、男として、人として、私は先生を心から尊敬しています。先生は、その人生を戦い抜かれた。私の知る限り、息もつかず、戦われた。せめて、これからは安らかにお眠りください。そして、不出来で傲慢な教え子を見守っていてください。先生、本当に本当に、ありがとうございました。

 

教室中央、前から3列目の左側に座っていた男子生徒より

AO入試を考える

Twitterで随分前だが一つのツイートが流れてきた。

このツイートは多数RTされ、喧々諤々の議論を巻き起こしている。このツイートを眺めながらそういえば自分がAO入試と随分近い所にいたことを思い出した。今回はこの「AO入試」という代物を考えてみたい。ちなみに私はAO入試の拡大には消極という立場をとることを先に記しておく。

 

AO入試とは何か。なぜAO入試は行われるか。

AO入試」という入試形態を果たして一語でくくっていいものだろうか。オリジナリティあるAO入試を実施している学校も多い一方で、それ推薦入試と何が違うんだ??となるようなAO入試を実施している大学も多い。一応各大学のアドミッションポリシー、すなわち大学の目指す所、に沿った人物を選抜することを目指した入試である。大抵、自己推薦書やらなにやら幾つかの書類を提出させられ、その後面接を行なうことで選抜を行なう。高校時代の評定が問題になる場合もある。

 

AO入試の謳い文句は色々あるが、私が最も説得力があると考えたのは、「ある集団の中に異才をある割合で放り込むと集団全体が活性化する。ゆえにAOは必要である。」というような言説である。確か東大推薦入試に関して聞いた言説であったと思うが、確かに一歩間違えば気が触れたのではと錯覚するようなオタク、もとい異才が多数いた自分の高校時代のコミュニティを思い出すとこの言説は相当に説得力があるように思う。AO入試は確かに尖った異才、それは通常の筆記試験では取りこぼしてしまっていたに違いない異才を拾い上げる作用はあるだろう。

 

「異才」やら「異能」、「天才」が求められる社会的土壌というのは確かに存在するし、AO入試はこの点にも必要性の基盤を有している。私などは疑ってかかっているが、これからはイノベーションの時代であり、イノベーションの能力こそAI時代において人間が果たしうる役割である。「イノベーション」のロールモデルスティーブ・ジョブズiPhoneマーク・ザッカーバーグFacebookなどに求められ、彼等のような自由な発想が許容される社会が、そして彼等が自由に能力を発露できるような環境整備が求められる。というかイノベーションの時代はやがてそうした社会をつくりだし、学歴主義を打破し、資本は彼等に集中する。だからそうしたイノベーションの環境として大学が活用されるべきで、逆説的に云えば、イノベーションの時代に生き残るための新しい選抜手法が必要である、そしてそのためのAO入試である、というように。

 

もう1つ、AO入試の効能を代弁すれば、少子高齢化の進行と大学進学率の高止まりにより大学間競争が更に激化する現代、各大学は大学ごとの差別化を求められ、ひいては選抜手法そのものの差別化が求められている。十人横並びの筆記入試ばかりではなく、自分の大学の色を定義し、特色ある入試、すなわちAO入試を行なうことで多様な学生を集めようという意図があると考えられる。

 

以上3点がない頭を絞って考えたAO入試の効能である。確かに説得力がある。しかし、いくつか疑義を提起することは可能であろう。それを上げることでAO入試そのものを考えていきたい。

 

AO入試は教育格差を拡大するのではないか

まず一点目、まさに冒頭のツイートに関連して、教育格差の拡大を助長するというような言説についてである。これに関して自分は、肯定的でもあるが否定的でもある。

 

このツイートに対して多く寄せられた批判が、「筆記型入試もまた教育格差を再生産するから、勉強”さえすれば”学歴が手に入るなどという言説はまやかしである」というものである。これは、再生産論という教育社会学的言説に立ってみればとりあえず、事実を述べたものであるには違いない。

 

(教育の再生産論をもとに、学歴による賃金格差はなぜ起こるか、給付型奨学金は正当な政策かについて検討した記事)

 

しかし、この批判が当を得た批判か、というと非常に疑わしい。まずこれはAO入試と筆記型入試のどちらかが、教育の格差再生産効果に対してより強く作用するかという比較議論を無視している。ツイートで述べられている「可能性」という語を意図的に見落としていると言ってもいい。ここについて、教育社会学的に議論するのであればデータに基づいてあれこれ言うべきであろうが、生憎手持ちデータが無いので所見を述べれば私はAO入試のほうがより直接的かつ強力な格差再生産機能を有しているように思う。理由はいくつかある。まずそれが面接や文章評価を含む、「知識獲得競争」という単純な受験ゲームの域を超えた、多様でより文化資本によって左右されるような選抜機能を有していると考えられる点、あるいはもっと言ってボランティア経験や留学経験などそもそも文化資本の多寡そのものによって選抜しているように見える点などがそれである。それよりは、単純な受験ゲームで勝ち負けを決する方がまだ、ミクロな格差逆転の可能性を残しているのではないだろうか。

 

もう1つ、この批判について的外れであると考える点は、それがマクロな視点のみからなされているという点である。少なくともツイートに出てくる研究者さんは専門用語である「文化資本」という語を使っているあたり再生産論をご存知に違いない。その時点で筆記試験も…という批判は有効でなくなるのだが、さらにいえば、ミクロな、「逆転できるかもしれない」という願望に似た作用にアプローチしたツイートであるという点を見落としている。私は、筆記試験を中心とする受験ゲームは、まさに目の前の用語集一冊を頭に詰め込めばそれまで何をしていても問われない、というシンプルさゆえに、多くの人に自分でもできるかもしれない、という一種のやる気を煥発し得ているように思うのだ。高校時代、何度遅刻していようが、模試でどんな酷い偏差値を叩き出していようが、ゲームばかりしてろくに自己研鑽に務めていなかろうが関係ない。家にお金がなかったとしても、何とかなりうる可能性はある。全ての条件は切り捨てられ、目の前に提示された問題に答えられたかどうかだけが合否を分ける。この単純さは、AO入試にはない。AO入試を受けようと思った時に、多くの人達は既に「ノーチャン」である。そこに逆転の可能性はない。確かに筆記試験も、結果をマクロ的に整理すれば多くの人たちはほぼ成功の見込みがないことがわかるが、それでも「可能性」はある。この可能性という点にアプローチしたツイートを頭ごなしにマクロ的に否定することは有効には思われないし、少なくとも「そんなことは百も承知」した上での言説なのではないだろうか。(マルクス的批判が取りこぼしている点とも言い換えられる。マクロな話だけで社会が進むのであれば世の中はもう少し効率的に進んでいるはずである。)

 

さてツイートへの批判に対する批判だけで随分長く字数をかけてしまったが、要は、AO入試の格差再生産性を他と比較しながらどのように捉えるにせよ、非常に強力な再生産作用を有した入試形態であることは間違いないだろうと思う。そして多くの場合、再生産構造は当事者には意識されない。「合格」という個人的成功はまさに自らの個人的な努力あるいは能力に還元され、個人を包含する「歴史化された自然」(≒環境)による作用は意識されない。さらに、再生産構造が続く限り他の階層と交わることは無いから、益々自らの境遇を客観視出来る機会は少なくなる。こうした点に光を充てるのがまさに学問という営みであるがここでは置こう。

 

AO入試は異才を選抜しうるか

さて、再生産論的批判は、言ってしまえばありきたりでAO入試に固有な問題ではないし、本質的ではない。おそらくこの疑義こそがAO入試に対して最も強力な批判である。

 

東大推薦入試は置こう。あの合格要件を見ていると、確かにあれに受かるやつは異才だ。私の後輩にもあれで通ったのがいるが、飛び抜けてできたし、もし一般で受けても受かっていただろう。東工大AOなども置いてもいいかもしれない。同期で1人東工大AOで選抜を突破した友人がいるが彼なども異様に数学ができた。受験期などはしばしば数学のかなり難解な問題を持っていって、その場で解説してもらっていたくらいである。間違いなく一般入試でも受かったであろう。

 

問題にしたいのは慶應か、あるいは慶應より更に下のレベルの諸大学のAO入試制度である。まず根本的に言ってしまえば、社会に異才はそんなに多くない。他者と異なる才能は、せいぜい「帰国子女の英語力」とか程度になるのではないか。それなら現状の英語さえできれば大抵の大学は受かる現状で十分である。それ以外で評価されていること、すなわち「高校時代に取り組んだ進歩的な内容」で異才を測るのはいささか疑問が残る。

 

昨今、随分燃えたがAO入試対策を専門で行なう某塾(エゴサがきつそうなので一応伏せる)がある。あれの塾長には個人的に何度も会ったことがあるし、そもそも出来てわずかなときから知っているし、出ていること出ていないこと、事実かどうかわからないものまで含めて随分いろいろな悪評を聞いている。あそこの手法というのは当初から制度そのものを破壊するそれであった。

 

塾は、塾生を受からせるために、塾生に社会貢献や政治参加などを目指した種々の取り組みをさせる団体を作らせ、そこに高校生の他の団体に対するには多額の資本を投入し、ノウハウやコネを注入する。塾生(高校生)たちはそこに取り組む中で評価されうる「実績」を積み、他の高校生とはちょっと違う体験を持った高校生に作り変えられる。

 

次に、多数の合格者をもとに作られた「自己推薦」等のノウハウをもとに、高校生の思いをどれだけ反映しているか疑わしい資料作成を行わせる。さながら就活セミナーであるが、ある意味それを前倒しで行っているだけともいえる。一時期は、講師が高校生が作るものであるはずの自己推薦書その他を代筆しているという噂さえあった。こうなってくるともはや評価されるものすべてが、慶應であれば慶應に受かるためのまやかしの価値であり、塾によって作り上げられたものである。

 

無論、某塾はその合格メソッドを洗練させることで、ある程度まっとうな教育産業に乗り出し(塾生の大半を塾の金で活動に送り出すようなことはもうしていない)、「代筆」など行っていてはとても追いつかないであろう多数の塾生を抱え非常に大量の合格者を慶應その他に送り出している。そのメソッドを求めて入塾した異才を鍛え上げ東大推薦入試の合格者も何名も出したというのだから大したものである。慶應に至っては他の塾もなし得ていない、驚異的な占有率を達成している。(あの合格者数の数え方も相当黒い話を聞くがこれはどこの塾にも共通するものであるから置いておこう)

 

この占有率そのものがAO入試制度そのものの破壊であるという指摘はあたるだろうが、とりあえず某塾批判をしたいのではない。端的に言えば、AO入試にはAO入試の対策があり、それがある限りAO入試は異才を選抜しえないという事実である。

 

私の友人で、慶應の法学部政治学科やSFCにAOで受かり今日も通学している知人が相当数いるし、彼らの中でAO対策塾に通っていた者も相当数いる。確かにその中には、あ~この人には勝てないな、と思えるような異才もいるが、どうにも「普通の人」が多いような気がしてならない。どころか、学問的才能(あるいは基盤)に随分と欠け、必死な努力を余儀なくされている人も多い。特に、SFCの先進的チャレンジが評価されるにはもうしばらく年月が必要であろうが、私はあの取り組みにはいささか懐疑的である。というか、相応に成功はする(現に”SFCらしさ”は形成されている)だろうがそれが一体、それを行わなかった場合とどれだけ違うのか、という点で懐疑的である。

 

慶應でさえこれだから、他の大学に至っては、その効果に一層懐疑的にならざるを得ない。推薦入試に対してなされる、根拠があるか疑わしいやっかみ、すなわち能力(学力)の低いものが「楽」をして合格をつかみとっている、というものはAO入試に対しても同様に言える。(やっかみである所以は、「楽」であるならば「楽」を取らなかった個人にも責任があるからである)どころか、まだ高校時代の一応の真面目さを測ると言う意味ではある程度有用であるといえる推薦入試と比べ、よりいっそうこのやっかみは現実性を帯びるのではないだろうか。

 

もちろん、評価軸そのものが違うという批判は当てはまる。旧来的な、筆記試験による画一的な評価、画一的な選抜をやめるという意図はよく分かるし、であるから旧来的な評価軸では「無能」な学生が選抜されるというのもやむを得ないことであろう。故に、私はAO入試のこうした作用をもって「無用」とする気はないがある一定の割合以上拡大されるべき手法でないように思う。AOというのは一般入試に比べて馬鹿にならない程評価コストがかかる制度であるし、であるのに「筆記型試験」より効果が期待されないか、期待されても僅かであるならば大手を振って拡大すべき手法ではないように思うのだ。

 

もう何点か疑義はあるが、とりあえずこの2つは重要であるだろう。

・まとめ

大学は今、戦後迎えたものと同じくらい、大規模な転換を迫られている。大学間競争の激化とともに大学は「選ばれる大学」を目指さなくてはならなくなった。今まで殿様商売を出来ていた大学が、いわば企業努力をしなくてはならなくなり、特に日本の大学の大半を支えてきた私学にとってそれは死活問題である。選ばれるためには他者、すなわち同じような偏差値の大学との差別化が必要である。ある大学は就職率を誇り、ある大学は手に職がつけられることを誇る。こうした見栄の張り合いの中で、残念ながら学問は二の次になり、あるいは本来的な大学の価値に関する競争はなりを潜めていく。かつて高校の学校間競争の際に起き、そして学歴主義という文脈の中で受験戦争が巻き起こって本来的な教育効果が著しく傷つけられた文脈と一緒といえば一緒である。

 

こうした流れをある程度本質的な競争、すなわちアドミッションポリシーに沿った健全な競争に戻そうとして進められるAO入試という取り組みには一定の有効性があることは確かに認められる。現に諸外国では、AO的な取り組みが一般化され、日本のような画一的な受験ゲームは廃されようとしている。

 

しかし、何事もバランスが肝要である、という愚にもつかない、時には非常に無責任な言説はこの場合にも重要である。一体、AO入試には過度に拡大されるだけの価値はあるのだろうか。あるいは今までのような単純な受験ゲームにはそれほど価値がないのだろうか。私は両者にそこまでの本質的な違いは感じない。AOを入れようが入れまいがトップ校は差別化されるし、中間以下は差別化されない、あるいは、今まで測られてきた能力以上の何か社会的にコンセンサスを得られるやり方(あるいは評価軸)で受験者が測られるとは余り思えない。あくまで取り組み方が変わる、それだけの話ではないだろうか。

 

冒頭で私が賛同したように、AO入試を用いた学内の多様化、コミュニティへの刺激という作用を私は強く支持する。コミュニティは多様であるべきであり、効果が限定的であってもAOはこの点にいくばくか好意的に働くに違いない。しかし、極論は常に耳半分で聞かなくてはならないように思う。単純さは必ずしも悪ではない、と私は考えるのだ。

教育ポエムを考える

世の中には、「教育ポエム」がありふれている。こう断定的に始めるのも時には悪くあるまい。教育議論はしばしば「教育ポエム」によって錯綜し、一層見えにくく無意味で、あるいは「どっかで聞いたよそんな意見」といったような状況を現出しがちである。

 

さて、教育ポエムを糾弾するのだから、代表的な教育ポエムを定義し例示しなくてはなるまい。教育ポエムとはいうなれば、教育や子どもに関して憧憬的なポエムを綴る行為全般を指し、「教育」を語る時に私も含めてしばしば行ってしまう行為でもある。だいたい子どもを語る時に、「キラキラとした」とか「生き生きした」とかそういう単語が使われ、あるいは教育を語る時に、「有機的な」とか「個性を育む」とか「相互に学び合う」とか「活動的な」とかそういう単語が使われる。「「御社ァ!潤滑油!!」並に聞き飽きた表現である。上の単語が使われるときは、現行の「無味乾燥」な教室風景と対称的な「理想の教育」を語るときであるが、もう少し保守的に「道徳的な」とか「礼儀が正しい」なんて文脈でも教育ポエムは顔を出す。総じて、反論を許さないような、あるいは結局のところの子どもの個別性には全く配慮しないような理想的価値について語る時にポエティックな語りが行われる。

 

あるいは語りとは言わなくても、大抵、子ども時代を考え、子どもの教育を考える時、我々はしばしば社会や現状とそれを切り離して、憧憬的にモノを考えがちである。我々にとって「子ども」は「無限の可能性」を持つがゆえに「貴重」な存在であり、彼らの歩んでいく道の無謬の可能性は理想的・憧憬的に捉えられるものであるのだろう。彼らが生きていく社会は、現在と地続きのわずか10年かそこら先の社会であるという事実は念頭にはないようである。

 

糾弾すると書いておきながら私自身、別に教育ポエムそのものを「悪」とする気はない。善い教育について語り、あるいは考える行為それ自体は否定される類のものではない。理想的には否定しにくい諸価値とは、それ自体が社会的に目指すべき価値として合意を得やすい価値であり、それを希求し合意形成を行い目指していくという方向性それ自体は否定される類のものではない。

 

しかしながら、教育ポエムはしばしば行き過ぎる。しばしば、行為主体の教師あるいは子どもの実態を無視する。あるいは、彼らが形成される環境を無視し、社会そのものを無視する。こうして議論は二分的に分裂する。ポエティックな思考が、実際の実践を圧迫しそのギャップにより多くが苦しむことになり、やがて二分的にロマンティックな教育を子どもに押しつけるか、あるいは徹底して現実的で近視眼的価値を子どもに押し付けていくことになる。ついには、現実とポエムが互いに交差しなくなり、教育は実社会にも寄り添わなければ体系的な哲学にも根ざさない中途半端な存在になって漂うハメになるのだ。

 

ここで教育という行為を「子ども」に対するものに限定して考え、なぜ教育はポエティックに語られるのかをもう少し詳しく考えてみよう。

 

この時点で捉え方に大きく相違が出るのだが、仮の定義として置いておけば、社会とは「大人」によって構成される。教育とは、子どもという新参者を社会に組み込むための準備であり、あるいは社会を、大きく言えば文化を受け継ぐための営為である。我々は教育という行為を通じて、先人の積み重ねを受け継ぎ、あるときには問題を解決しながら、あるときには先人と同じことを繰り返しながら、厳しい生存競争の中で支配的な立ち位置を築き上げてきた。こうして捉えれば、本質的には教育は迎え入れられる社会に従属的にならざるをえない。社会に必要な人材、社会に迎え入れられるために必要な価値、知識を習得した個人を作ることこそ教育に必要なこととなる。

 

しかし、しばしば子どもを迎え入れる側の「社会」が理想的に捉えられる。子どもが向かっていく先には明るく幸せな未来が広がっていなくてはならないという一種の強迫観念に我々はとらわれる。無限の可能性を持った子どもはみな幸せにならなければならないという理想主義が、現実の社会から随分離れた所に「子どもが迎え入れられる社会」を創り出し、その理想の社会とやらに向かって子どもを教育しようとする。彼らがいざそういう教育を受けて飛び込んでいく先にある社会は、描かれていた社会とは随分と勝手が違っていて、勝手が違うことにどれだけ早く気づけるかが現状、社会的成功に直結している。

 

学校で教えられる社会と、現実の社会のギャップなどいくらでもある。社会における関係性は学校におけるように無条件的ではないし、プラトニックではない。社会は汚い側面を「大人の恋愛」「社会人としての心得」などとごまかしそれがわからない「子ども」を時には嘲笑する。大人は常にダブルスタンダードであり、子どもに理想を解く小学校の先生が、大人と対するとき、すなわち社会的生活を営むときには随分とドロドロした関係性に身を置いていることなどしばしばである。教育がポエティックに語られる本因はおそらくここにある。今の自分が随分と酷い状況であるから、あるいは昔想像していた純粋な自分とは随分違うから、そうならないように自分ができなかったことを憧憬的に子どもに丸投げしようとするのである。自分もまた数多のそういう期待の中で育ってきたことを忘れているのだ。

 

それではと、子どもに実際の社会を教えようという動きが出てくる。それは大抵フォーマルな形ではなく、教室での雑談のような形や、日頃インターネットなどで触れる情報によってインフォーマルな形で伝達される。インフォーマルである、ということは無秩序であるということであり、しばしば子どもは一面的な社会ばかりに目を向け、絶望したり無邪気に希望をいだいたりする。「大学生活は楽しそう!!!!」と思う子がいる一方で、「大学生なんか怖い…」と思う子がいることが例としてあげられるかもしれない。生活とは多面的であり、ある面では確かに楽しいが、ある面では汚らしく、ある面では辛いこともある。しかし、秩序だって教えられる「社会」とやらは多様な人達が暮らす社会と乖離せざるを得ないから、結局インフォーマルな伝達によって積み上げ式に伝えられるしかない。

 

 

さて、微妙に議論が霧散している。この文章でここまで言ってきた前提をもとに言いたいことを二つまとめよう。

 

まず、教育を考えることの本質的限界を自覚すべきであるという主張である。教育議論をする時にしばしば、自分が教育の話をしているのか社会の話をしているのか見失うことがある。あるいは自分を棚に上げて未来に無責任に期待した言説を披露することがある。「子どもが活発な社会は健全な社会である」という類の経験論があるが、まず間違いなく、子どもが活発な社会では大人もまた活発で前を向いている。というか大人が前を向く余裕がなければ、そもそも子作り、子育てなどという行為に至り得ない。社会は教育が、あるいは教育されてゆく将来の子どもが創り変えていくものではなくて、今社会を作る我々が創り変えていくものなのである。だからもし教育について本質的な議論をするのであれば、我々を取り巻く社会現象そのものについても合わせて真剣に議論しなくてはいけない。

 

次に、教育ポエムの批判可能性の再検討である。教育ポエムそれ自体には重要な価値が含まれている事も多い。教育が作るべき個人は、ただ現状の社会を受容し伝達していくマシーンではなく、そこで自分なりに生活し社会を考えていける個人である、ということは一応上述の議論を見ていると明らかになっているように思う。ここを目指して現状の教育を変えていく取り組みはやはり重要である。しかし、もう1つ重要なのはポエムをポエムとして処理しない、批判的思考と言論の枠組みづくりである。それはしばしば「哲学」と称される。ポエムはポエムであるがゆえに、現実的側面からどうしようもない形で否定されるか、議論を許さない素地によって語られる。これをきちんとした体系で整理し、あるいは行き過ぎにブレーキを掛けていく取り組みは重要であろう。ほっておくとすぐ、教育議論はロマンティックな方向に旅立つか、極端に近視眼的実用主義に拘泥してしまうし、いずれも「子ども」のことを考えていると思い込んでいて、教育と社会の話を混同し教育に一元化した話としてしまうのだから。

 

以上2点、どっかで聞いたような意見であった。このブログそのものがポエムであることは否定しないし、ポエムを語る場もやはり必要であるというのが投げやりな結論である。

 

学問の世界に足を突っ込むことについて

大分このブログを放置してしまった。理由はいくつかある。例の道徳の特別の教科化の件に関してテレビを中心としたマスメディアの報道の仕方があまりにもひどすぎたからぶっ叩こうとしたが、「自分の知っていることを共有したいからこのブログを書いてるわけじゃない」と書くのが面倒になって挫折したり(ちなみに道徳の特別の教科化はについてはぜひこちらの資料群には目を通してから議論してほしい。道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議:文部科学省)、そもそもリアルで学問の世界に身投げしてしまって書く暇と気力が萎えてしまっていたりそんなところである。今回は、そんな自分の気力を萎えさせていた学問に身投げすることについて書いていきたい。まだ無知だからこんなことが書けるのである。

 

私は今、学問ごっこに興じている。教育学というごった煮学問の世界に飛び込んだつもりになっているわけだがやるべきことはなるほど多い。思わず魅入られて入院してしまう人が後をたたないのもわかる、麻薬的な面白さがある。私は特に、歴史に魅せられて傍から見たらくだらない資料群を発見しては奇声をあげそうになるのを必死に抑える努力を日々重ねている。なるほどわからん、という方も多いだろう。

 

人生において、学問に興味のない人の勉強の大半は教科書とそれの取り巻きで完結するに違いない。教科書には現時点での答えが書いてある。そしてちょっと調べてからもう一度教科書を読むとなるほど素晴らしくまとまっている。モノを少し知った感じになるにはあれ一冊で十分、というのもなるほど納得行く話である。

 

しかし、一度学問に魅せられてしまうと話が変わってくる。入り口は色々あるだろうが、学問に魅せられてしまうと「答え」には満足できなくなってくる。例えば世界史や政経の教科書に書いてある大まかな流れは流れなのだが本当にそうなのだろうかと、原典をあたってみたくなる。そしてあたってみるとたしかに流れはそうなのだが、もっといっそうわかった気になる。そして歴史上偉大と言われている人たち、ホッブズ、ロック、ルソー、カントやらなんやらが自分の前に生き生きと立ち現れてくる、ような気がしてくる。そして同時に底なし沼が見えてくる。ちょっと学問的に聞きかじった程度でも、教授の話をよく聞くようになると底なし沼がよく分かる(逆に知ってることも増えるから話の筋が非常につかみやすくなる)。一度学問世界への入り方がわかると目の前にうず高く「先行研究」が積み上がる。人類が積み上げた象牙の塔は遙かなる高みを持って卑しい私を見下ろしている。

 

ニュートンの巨人の肩に乗る小人の例えは有名だが、しっかりと巨人の肩の上に登って知の地平を見渡せるようになるには相当な鍛錬が必要なのだろう。この鍛錬が必要という点を自覚した上で象牙の塔を一歩一歩登っていくと、登ることを放棄してそこが頂上だと思いこんでわーわー喚く人が小さく見えるようになってくる。確かにもうちょっと引いてみてみると肩の上からモノを言っている人も、登りもせず、あるいは中途でわーわー喚いてる人も言っていることはだいたい一緒に見えるのだが、中から見ていると随分違うことがよくわかる。こんなことを言うのもわずかながらものがわかるようになった証拠かもしれない。私が最近、ブログを書こうとしては筆を折ってしまうのもだいたいここらへんが原因である。

 

私はこのブログを始めたときから、本当に自分が調べていることは書かないようにしようと心に決めている。自分が調べていることを書こうと思ったら論文テイストの語調でも何万字(どころの騒ぎではない)もの文字数が必要になるし、あるいはその記したことが検討不十分であることは自分自身で痛いほどわかるからである。直感的直情的に物事を記してわーわー喚けるのはそれが恥ずかしいことだとも思わない、門外漢なことに限る。現に大学教授だってたまに例え話などで門外漢なことに首を突っ込もうとして非常に重大な思い違いをし、学生の失笑を買っていることだって多い。それはそれで一向に構わないとは思うのだ。

 

ある物事を見る時に、少し本を読むとだいたい認識の枠組みがあることに気づかされる。教育に関する場合、卑近なところだとだいたい「実践学力観」と「知識重視学力観」の二元論で議論を処理できる。しかし、教育学は未熟な学問だから二元論で十分処理可能な側面があるだけで、多くの場合こんな簡単に説明できる枠組みはない。この枠組を何個持っているか、そしてその枠組をどれだけの種類、意識的に使い分けられるかがまさに学問的能力だと思うのだが、ここはまだ無知だから大言壮語できるところである。

 

とりあえず人文系学問をやるのだからと、西洋近代に手を出しアメリカプラグマティズムに手を出し、マルクスにも手を出した。手を出せば出すほど物事は沢山見えてくるが肝心の包丁を選んで切り刻んで深く理解するところまではいかない。ここがまだ未熟なところである。しかし、学問の世界に足を突っ込んだからこんなことも言えるようになった。もっと調べればスルメのように味が染み出てくるに違いないと日々、どこかの片隅で頭を抱えているし、あるいは誰かをこの沼に引き込みたいとやればやるほどムズムズしてくる。全く麻薬そのものである。

「上から目線の意見」という上から目線の批判について

ここ最近いろいろなネット言説をみながら少し思ったことがある。ネット上のお作法から少しはみ出た過激な意見に対してよくなされる「お前は何様だ」「上から目線に過ぎる」といった諸言説についてである。ここに書かれていることは恐らく色んな人が沢山焼き直してきたことであるし、あるいは全ての言説とはそういうものであろうが、とにかく言ってみたくてたまらない気持ちになったので少し記すことにする。ちなみに本稿では、標題のような言説を「お前何様だ」言説とでも名付けておこう。

 

「お前何様だ」言説については枚挙に暇がない。ネット上で最も酷い言説空間はYahooニュースコメントとYoutubeのコメント欄であると思うが、特にYoutubeのコメント欄でしばしばある「動画も投稿してないくせに」批判「自称名人様」批判等の応酬は一体どれだけ繰り返されてきたことかわからない。ある投稿者のプレイについて「下手くそ」と指摘したユーザーに対し別のユーザーが「自称名人乙」「お前がやってみろ」などと返すことはもはや様式美とさえ言える。そこで煽られたユーザーがイキりだしたりしてあるいは無知をさらけ出したり、揚げ足とりを始めたりするからコメント欄は手に負えなくなるのだが傍から眺めている分には非常に愉快である。

 

さて、私のブログ記事、特に延焼的にバズった以下の記事でも「お前何様だ」言説はしばしば見られた。

いや、この記事、「お前何様だ」と言いたくなる気分はすごくよく分かる。これを酒も入れず真面目くさった顔でいやみったらしく毎日話していたら相当やばいやつだ。しかしちょっとまってほしい。そんなやつに「お前何様だよ」と突っかかることに一体何のメリットがあるというのだろうか。あるいは日常的なコミュニケーションでそういう人にそういうテンションで突っかかっている人もまた、相当やばいやつだ。触らぬ神に祟りなし。

 

もう一つ、最近バズってるなぁと眺めていて「お前何様だ」言説を見かけた記事がある。

todai-umeet.com

この記事に対するレスポンスにも(記事内で閲覧できるもの以外にも多くある)「お前何様だ」言説が多く見受けられる。頼むから記事の日本語をきちんと読んでくれと思う意見も多い。

 

2つの記事に共通するのは読者を明らかに限定し、すべての人から共感を得ることではなく主観を吐露することを目的とした扇動的言説であるという点である。ほしいのは「上から目線のアドバイス」でも、ましてや「お前何様だ」コメントでもない。ささやかな同情と暖かな眼差し(言い換えれば自己承認欲求の充足)程度のものである。あるいはそれがわからない人には無視していただいて一向に構わない。せめて読んでいただくなら字義通りにとって「へ~大変なんだな」とか「こいつのことはよくわからんわほっとこ」くらいのレスポンスでいい。皆さん、日常的に、本音ぶちまけ型の言説にはこう対応なさっているはずである。「議論」したってそこに生産性は皆無であるのだから。

 

「上から目線」の主観的言説ほどスタンスが定まっている言説もない。書いている「私」を開示し、それへの承認を求めるだけの、言ってしまえばそういう言説である。確かに一般的な感覚から言えばそういう、欲求丸出しの言説はキモいしうざい、お固く言えば忌避感がある。日常的にそういうことをする人たちとはなるべく関わらないようにするかもしれない。だいたい欲求丸出しの言説には、自らとスタンスを異にする他者に対する配慮はない。だから欲求丸出しの言説が自らと同じスタンスから発せられれば感じ入ることができるが、違うところから突っ込まれるとむしろ自らのスタンスが攻撃されているような、一種の嫌悪感を覚えることも多い。リアルなら腫れ物扱いで終えるかもしれないが、ネット上だと突っかかりやすい。あるいは無人称の自己(≒匿名)という特殊性から相手に対して優位に立ったかのように錯覚し叩く。それだけのことなのだろう。(ただ例えば3大欲求に基づいた主観的言説は当然共感ばかり集められる。逆に言えば承認を受けやすい。リアル、ネット問わずこうした言説で溢れるのも無理からぬ話であろう)

 

前掲の記事にせよ、「建設的な議論」など露ほども求めていない(ように見える)のだが、もし「議論」とでも呼べる何かを主観的言説から立てるとすれば、主観、すなわち他者の価値観を理解し包摂する方策を考えることでしかないように思う。上から目線で、個人内の改善を促す方策を考えるのは、あまりにも無意味である。言い方を変えれば、異なる価値観の相手に対し自己の価値観に同化するように仕向けるのではなく、その価値観をどう理解すればいいか、あるいはどう包摂されていけばこういう人も幸せなのか考えるほうがよっぽど効果的である。価値観を文化に置き換えると少し遠大な話になるような感じもする。

 

というわけで少し遠大な風呂敷を広げてみよう。これはそのまま異文化の話にも応用できるのではないか。よくある言説のうちに「お前の文化より我々の文化のほうが優っている」などという全く不毛な言説がある。ハーバードスペンサーの社会進化論が拡大解釈され、科学主義とやらに言説が毒された結果であろうが、すぐ我々は優劣をつけたがり、競争して生み出されるべき価値と、根っから競争すべきでない価値を錯誤する。いや、正確に言えば客観の上において、わかりやすく言えば理論的フィクションとして、ヘーゲル的に2つの価値を対立させ、「止揚」を目指すことはあってもいいが、フィクションであるということを忘れ、現実の主観を含む価値を抑圧してはならない。主観を含む価値には、そのひとの生活があり、人生そのものが含まれる。わからなければほっとけばいいのだ。ほっとくことが「抑圧」につながらない限り。(などというと随分語弊がある気がする)

 

 

さて、強引に風呂敷をたたもう。随分多くの中身がこぼれた気がするが気にしない。私が言いたいことは、実は上述してきたことと関係しているようで関係していない。もちろん上述したことも言いたいことではあるのだがもっと言いたいことが他にある。すなわち、もっとみんな主観的言説に対して寛容になって、あるいはそういった言説をどんどんやっていきませんかということである。私からすれば、たまに目にするドロドロの自己承認欲求の塊的言説は見ていてとてもおもしろい。(逆に、迎合的メディアにありがちな、書き手がどこにいるのかわからない記事は死ぬほどつまらない。)そんなもの(=主観的言説)は飲み会の席で気心の知れた友人とするか、あるいはネット上で匿名で垂れ流すに限ると思うのだ。そして、ネットとはそういった「匿名」の利点を活かし、そういった言説を多数読み書きすることで深層的な経験を積む積極的な場でありうるのではないかという問いかけである。匿名とは仮の姿でありフィクションである。フィクションであるからいくらでもやり直せる。この提案、みなさんはどう思うだろうか?(早速迎合的メディアみたいな閉じ方をしてしまって、忸怩たる思いである。)

中学受験に思う ~他者ができること

1年間に何度か、若輩者ながら昔に思いを馳せ感傷に浸る日がある。2月1日もその1つ、首都圏の主要私立中学校の入試が始まる日である。競争社会の大海原に漕ぎ出していく子どもたち、本来彼ら/彼女らには似つかわしくない箱の中に何百何千時間と詰め込まれ、けれどどこかに子どもらしさを残した、チグハグな子どもたちと親の一大競争イベントである。私自身、私の生きてきた年数から見れば随分前の今日この日、それを経験した。

 

中学入試当日のことをそこまで鮮明に覚えているわけではない。途中で志望校を変えたこと、自宅から比較的遠方の学校だったことから塾や小学校の友達も、顔を見知った先生も会場にはいなかった。筆記用具と受験票と、理科の用語集のようなものだけ持って臨んで、何やら必死に取り組んだことは覚えている。終わって自分が通っていた校舎に顔を出して雑談して帰ったことも覚えている。2日はもう小学校に行っていたし、世に言う受験に全身全霊で取り組んでいるような、そんな子ではなかった。帰ってきたら無事合格していて、そのまま進学した。

 

思い返せば中学入試は随分無理をして臨んだように思う。通っていたスイミングスクールも最後までやめなかったし、小学校は受験日1日を除いて休まなかったし、公文も6年生の夏まで続けた。塾は一番たいへんなときは週5日あって、水泳も減らしたとはいえ週3日練習があった。この時点で週7日という計算が合わない。それがそこまで苦でなかったあの頃の自分を思い出すとただただ羨ましくなるばかりである。

 

私は言い訳がましい自堕落で通っていて、とても真面目な受験生ではなかったし、講師にもほとほと迷惑を掛けた。けれど結果から見れば2年近く対策をして合格した。共働きの両親は黙って月謝を出し続けてくれて、勉強のことをとやかく言われることもなく、それどころか塾で遅くなる自分の送り迎えまでしてくれて、必要な時は欠かさずお弁当を作ってくれた。親とは本当にありがたいものである。

 

 

今年、私は講師ではないながらわずかばかり中学入試を垣間見れる立場にいた。今日、受験に向う彼らを見て特に感傷に浸っていた。意外だったのは、彼ら、受験という、いわば社会の残酷に立ち向かう彼らが一様に晴れやかないい表情をして会場に向かっていったことである。緊張した面持ちの子も、いざとなれば笑顔を見せて会場に消えていった。私自身が飄々としていたことは覚えているけれど、大学受験のときの回りの受験生よりよっぽど彼らのほうがいい顔をしていた。

 

親もまた思い思いに子どもたちを送っていた。親と別れなければならないギリギリのラインまで付き添っていって子どもを抱きしめる親、もう6年生なのに親自身の不安を隠すようにがっちりと子どもの手を握って校門をくぐっていく親、むしろ、頑張ってこいと、校門の手前で肩を叩いてそそくさと子どもを送り出し帰っていく親、ただ一様に子どもよりずっと顔がこわばっていて、余裕のあるように見えてもどこか不安で、もはや自らの力の及ばないところに子どもを送り出す、一種の寂しさと恐れを噛み締めているようだった。

 

受験生応援に来ている講師は要領をわきまえている。皆、「最後までやりきれよ」と型通りに、目線を合わせて激励する。実際に教えた生徒を激励するときはもう少し長く、愛情を込めて激励する。そして子どもは笑顔になる。もはやこれしかできないことを彼らはわかっていて、それを忠実にこなす。

 

試験会場に消えていく子どもたちの背中には、彼らがまだあまりよくわかっていないほど大きな期待がかかっている。彼らはそれを笑顔で振り切り、旅立っていく。いくらポスト学歴社会を主張しようが、基礎的な知的能力に様々な能力が左右される以上、子どもの能力を社会的に認めるシステムが「学歴」であることに現状代わりはなく、親子ともども、「学歴」という我が子へのお墨付きを求め、あるいは与えることに腐心する。その競争は個人の能力、それも中学入試の場合は特に生まれ持った能力と、家庭の経済状況で戦われる「平等」からは程遠いものである。親は、どんどん高度化している子どもの学習内容についていけず、ただ「専門家」を頼り、お金をかけ、日々生活の世話をし、期待を注ぐしかなしえない。如何に崇高な家庭教育の方針を掲げていても、この従属的な構造は拭えない。

 

 

教育学をやっている人は、すぐに受験を残酷だ、いますぐ競争を緩和すべきだという。曰く子どもの発達段階に即しておらずいびつな教育構造を産むだとか、親の過度な期待や受験への専心-価値一元化-は子どもの価値形成過程を歪め、病める子どもたちを作り出すと。あるいは、社会の中で大人もあれこれ言う。曰く受験はその子の社会的に評価されるべき能力を写さないと、あるいはあんなことに時間を捧げ子ども時代を謳歌しなかった自分が恨めしいと。一様に正論で、一様に無責任な言説である。

 

確かに子ども時代は一度しかない。その時間は長く、世界は無限に広いように感じ、自らの可能性に心躍らせ、日々遊びまわることだってできる。未経験の様々な物事を全身で受け止め、時に喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。かけがえのない友達を作って、「大人」の軽薄さに立ち向かう。絵に描いたような美しい子ども時代は誰にでも期待され、そして多くの疎外者を生み出す。あるいは、そんな子ども時代を忘れてしまった大人たちによって疎外される。こんな話をしていると、以前も引用したが、DAOKOの「ないものねだり」のサビ、「迷子の大人たちが子どもになりたがっている。迷子の子どもたちが大人になりたがっている。」という歌詞を思い出す。

 

結局、もはや子どもの成長を見守っていく我々は、一体何ができるというのだろうか。私が教育学的言説において無責任だと断じた大きな理由は、それが崇高で如何様にも解釈できる理念を掲げるばかりで、明日具体的に何がしてあげられるか、無念な「親心」の観点が不足しているからである。心理学的に見て幼年期の自己肯定感や他者への基本的信頼の感情は親からの無制限の愛情によって培われると言われるが、「学校」というハコモノに子どもたちが収容されていくと、そこはいずれ競争社会にならざるをえず、親の愛情は歪んでいく。子どもは他の子どもたちと彼らの身の丈に合わない社会的価値を比べ合い、多くは荒んでいく。家庭や教師がそれを癒せれば幸運で、そんな期待すら持てない子どもが数多くいる。「親心」は多くの場合そうした競争を助長し、あるいは子どもの有るかわからない「未来」を考えればそれを助長せざるを得ない。もはやそこに教育学的価値が入り込む猶予など殆ど無い。だから逆説的に、その猶予を見つけ挿し込んでいく取り組みと、猶予をなんとか拡大する具体的で目配りの効いた価値形成が重要になる。簡単に言うがなかなかできることではない。

 

私は、プラグマティズム以前の、純哲に近いところの教育哲学が好きである。それは結局、ありそうな、かっこいいお題目の唱え合いであるところが多く、頭脳体操の観すらある。ただ現実に立ち戻るといつも、もはやこうした哲学の限界を感じる。随分前からなのかもしれないが、哲学無き時代、というよりはもはや哲学が処方箋となりえない時代が日々深まっているように感じる。そうした時代にもはや憤りではなく、寂しさの方を大きく感じる。中学受験生のチグハグな様を見て、ただこんなことを考えてしまう時点で、私は残念ながらもう子どもではいられない。

 


千と千尋の神隠しとルソー ~なぜ湯婆婆は負けたのか

==今更だけどネタバレしかありません==

 

何がきっかけかわからないが一個前の記事がバズってしまって、過激になりがちな脳裏の落書きをそこはかとなくかきつくっているだけの本ブログが衆人環境であれこれ言われるのもなかなか愉快なものであるが、何分落書き、論理の破綻はご容赦頂きたい。

 

さて、流行りに乗った話であるが20日の金曜日に、金曜ロードショージブリの名作「千と千尋の神隠し」が放映された。もう10回以上見ているはずなのに毎回発見がある素晴らしい作品であるが、ようやくだいたい話がわかったと1人早合点している。となると話したくなるのがブログなんぞ書いてしまう自己承認欲求の権化の性分で今回は千と千尋の神隠しとルソーという切り口で話したい。なぜ湯婆婆は負けたのか、なぜカオナシは銭婆のもとで改心したのか等、様々な点をルソーの思想を元に整理する。

 

「ルソー」という、おそらく大半の人の頭のなかには「あー人間不平等起源論と社会契約論を書いたあいつね、世界史に出てきた!」程度の認識の人は、実は非常に偏屈で故に魅力的な人物である。彼の教育論(と呼ぶには些か憚れる)『エミール』も教採を受ける方や教育学に触れた方はご存知だろう。そして、彼の思想は間違いなく宮﨑駿という作り手に流入している。特に彼の「利己愛」と「自己愛」、文明や流行への痛切な風刺と逆説的な啓蒙思想は宮崎作品を見る上で非常に鋭いメスとなる。

 

ちなみに今回のルソーと絡めた話には私なんぞの未熟者では思いもつかない話なので元ネタが有る。先生が「いつかジブリと絡めてえなぁ」と言いながら諸般の事情からあえて絡めずに話されていた諸概念を元に自分なりに書いているだけである。参照すべき論文は文末に付したのでもしよろしければお読みいただきたい。

 

 

千と千尋の神隠しというテクスト

千と千尋の神隠しは、2001年、宮﨑駿監督作品としてお披露目された名作である。そのストーリーといい、美術的感性と言い、BGMといい、あらゆる意味で一級品の作品であり、宮﨑駿作品最大のヒット作でも有る。

 

本作に限らず宮﨑駿作品に通底する素晴らしい点は、それが対象年齢を選ばない点にある。老若男女すべての人が別の観点でテクストから別々の物語を引き出し楽しむことが出来る。優れたテクストからはいくつも物語を引き出しうると言われるが本作もご多分に漏れない。この内幾つかの物語を表すことで軽いテクストの紹介としよう。

 

千と千尋の神隠しというテクスト全体を通して見た時、最も重要な物語は「千尋」という10歳の女の子の成長物語である。車の後ろで不貞腐れながら新しい学校にあっかんべーをし、神域に入るときに子どもだけが感じうる言い知れぬ恐怖に戸惑い、河岸で泣いているときのか細い姿はまさに10歳の女の子と言った感じである。彼女はハクと出会い、この世界で生きていくすべを教えられる。彼女は勇気を振り絞り物語の歯車を押していく。幾つかの出来事をきっかけに彼女は成長し、顔つきも見違える。彼女はついに湯婆婆との戦いに勝ち両親を取り戻す。彼女は人より随分聡明で勇気もあるが、それもまた後述するように宮﨑駿の描きたかった世界なのだろう。

 

次に挙げるべきはハクの物語だろうか。ハクは名のある川の神であるが、湯婆婆に名を奪われ、「やばい仕事」をさせられている。彼は千尋へのプラトニックな思慕と千尋の言動に救われる。彼もまた、所謂銭ゲバな湯屋の人々とは一線を画すが、しかし彼は千尋ほど真っ直ぐではない。彼の「啓蒙」という文脈もこのテクストでは重要である。

 

3つ目に、間違いなくあげられるのは湯婆婆と銭婆の物語であろう。湯婆婆と銭婆とは一体どんな存在として描かれ、ゆえに物語にどう作用したのか、これを特に解き明かすためにジャン・ジャック・ルソーというメスが非常に有効である。この点は後述する。

 

4つ目にカオナシの物語である。なぜカオナシは千尋を求め、そしてついに銭婆のところに落ち着いたのだろうか。これもまた後述する。

 

それ以外にもリンの物語、お坊の物語など多くがこのテクストから引き出される。宮崎作品は特にテクストの引き出しが多いように思うのだ。しかしその原理は一貫し、そして悲劇ですらある。それをルソーというメスを元に探っていこうというのが本稿のささやかな狙いである。

 

ちなみに、千と千尋の神隠しを探る上で外してはならないモチーフが「名付け」に関するモチーフである。これはルソーとは関係ないが本作を語る上で外してはならない。考察の箇所で後述する。 

 

ジャン・ジャック・ルソーにおける利己愛と自己愛の諸概念

さて、何やら難しいタイトルを付けてしまった箇所に移ろう。皆さんの大半に歴史上の記号として刻印されているジャン・ジャック・ルソーという人に人性を付与し、テクスト解釈の線上に登場していただくとする。

 

ルソーは、1712年、スイスのジュネーブで生まれた。母親はルソーを産んだために死に、ルソーは生涯このことを悔やんだという。ルソーの父親は市民階級の時計師であったが、彼が13歳の時、暴力沙汰をおこして蒸発、ルソーも孤児同然の身として放浪することになる。彼はその生涯に渡って孤独であり続け、孤独であったがために洞察的であった。

 

彼は非常に多才であり、それゆえに様々な分野で研究がなされている。史上初の私小説と名高い『告白』、書簡体小説の傑作『新エロイーズ』、教育論(?)『エミール』、政治論『社会契約論』『人間不平等起源論』、文明批評として有名なものに『学問芸術論』等がある。また、作曲家としても活躍し、「むすんでひらいて」のメロディーは彼が作った戯曲を後年の作曲家がリスペクトして作曲したものが広まった派生系の一つで、それが各地で賛美歌や童謡、果ては軍隊行進曲として用いられている。

 

彼は後年、特に『エミール』でサヴォアの助任司祭の信仰告白を記したことからパリ大学神学部に断罪され亡命を余儀なくされる。彼は自らが引き受けた悲劇的な運命-すなわち耳を覆いたくなるような事実を語ること-によって迫害されることに対して強い被害妄想(というよりは満たされない自己承認欲求)を抱え、孤独に死んだ。彼はとても言行一致とは呼べない人で、口ではまさにそういった人の間に生まれる評判に身をやつさず、自然のもと素朴に生きよと問いたが、裏では過大な自己承認欲求を抱え、ジュネーブ訛り(田舎訛り)のフランス語には過大なコンプレックスを持ち、エミールで児童中心主義を唱えた(と言われている)割には5人の子どもを相次いで孤児院に放り込み、フィクショナルな『告白』という自白(自己正当化の為に作り上げた物語)の中で露出狂であることを暴露したりしている。この弱さこそが、ルソーの好みが別れる点でも有るが弱っちい私には大好物である。

 

 

さて、前置きが長くなった。ルソーにおける利己愛(amour-propre)と自己愛(amour de soi)の話に移ろう。随分古い論文であるが坂倉(1991),坂倉(1996)あたりを参考に記す。

 

ルソーにおける悲痛とも呼べる目標の一つが人間の本源的善性の証明であった。『エミール』の冒頭は次のようなフレーズから始まる。

 

万物をつくる者の手を離れるときすべてはよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる

-ルソー, J., 今野一雄訳(1762=1962),『エミール』,岩波文庫

 

従来、アウグスティヌス以降の西欧キリスト教世界において、聖書解釈における「原罪説」は一般的であった。すなわちアダムとイブが地上に放たれて以降我々は生得的に罰せられ、生とは死後の救いのための行いであるという思想である。ストリンドベリのフレーズで山本周五郎によって引用された「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」という語はこれを端的に表している。(ピューリタニズムの厳格主義にはこの傾向が強い)そしてこうした原罪説に基づく「性悪説」的観念が主流であったといえる。ルソーはここに疑問をいだいたのだ。

 

ルソーにおいて、人間の創り出す文明やそうした社会的な差異が生み出す流行や滑稽といった感情、あるいは、まさにそうした人為が創り出す利己愛こそが人間の本源的善性を曇らせ悪的なるものへと貶める元凶であるとされる。ルソーにおける利己愛(amour-propre)とは次のような定義を持つ(坂倉(1991)から二次引用しました。良くないね)

 

amour-propreは、相対的で人為的感情、社会の中で生まれる感情にほかならない。それは、各人に自分のことを他の誰よりも重んじるようにさせ、相互にあらゆる悪を思いつかせるものであり、また名誉の真の源泉である。

 

ルソーにおける利己愛とは、社会的な感情であり、虚栄心や名誉などを惹起する。利己愛とは他者と比べてどうだという相対的な感情であり、ゆえに本当は幸せなことでも人はそれを幸せだと思えなくなる。例えばとても暖かい服を寒いときに着れてそれ自体は幸せなことなはずなのに、それが例えばスタイルが良くないとかかっこ悪いとか言って高い金を流行に合わせて、それが実用的かどうかを度外視してお高いものを買ったりする。そうして他者と比較してそういう服を着ている自分につかの間の満足を覚える。翌年にはしかし、また欲しくなるのだ。これが利己愛である。

 

一方自己愛とは何か。自己愛(amour de soi)について、ルソーは以下のように述べる。(これまた二次引用)

 

amour de soi même は自然本性的感情であり、すべての動物を自己保存に配慮させ、人間にあっては、理性によって導かれ、憐れみによって変容されて、人類愛と徳とを生み出す。

 

すなわちルソーにおいて自己愛とは、「食べたい」とか「寝たい」とかいう自己保存的な自己愛であり、それが達せられるのは、例えば寒い、服着た、暖かい、満足という程度の思考プロセスによる。自己愛もまた広義の利己愛の一部であり、もし周りをキョロキョロとしてばかりいる人が他者に嫌われることを自己保存に重大な影響をおよぼすことだと考えて、そうされないように自らを取り繕い、一端の人物であるかのように見せようとすれば、それは傲慢や虚栄と言った負の感情、すなわち利己愛へと転化する。

 

ルソーの特に示唆的なところは、この時、「強さ」の定義として利己愛と自己愛の差を導入するところにある。彼いわく、人間の強さとは、利己愛と自己愛の差によって決まり、自らの出来ることと自らのしたいことの差が大きければ大きいほど人は弱く、逆にその差が小さければ小さいほど強いというのだ。そして彼は発達段階の一時期において、子どもが全能である瞬間、すなわち自らの出来ることがしたいことを上回ってしまう時期が来ることを見抜く。彼はそれが一時的なものであることに気づいているけれど、しかし、我々も思い返してみれば自分はなんでも出来たような、そんな錯覚に囚われた時期を持っていたことに気づくだろう。その時我々は今よりよっぽど虚栄心も、他者と比較してどうだという感情もなく、ただ実質に基づいて嫌だとかいいとか言っていたのではないか。これこそが千尋の少女像とつながる。(最近は発達段階がルソーの時と比べて明らかに前倒しになっているので正確な年齢層については言明できないが)

 

ルソーが『エミール』において表そうとした表層的な教育指針は、自律して人間の本源的善性に基づいて判断しうる自然人の育成というところにあった。すなわち変な虚栄や立場、しがらみに囚われず常に善なる判断を下しうる主体(ほぼすなわち神)の育成のためにエミールをあらわしたといえる。エミールの中で教育されるエミール少年は、全知全能の教師の手のひらの上で転がされながら、都会という、利己愛と自己愛の差を広げる作用を有する場でも戦いうる、強さを有した少年へとまさに教育される。その後ルソーはそれを壊してしまうし、それを壊すことでこそルソーはルソーたるのであるが、その話は置いておこう。ここで記すべきは利己愛と自己愛という概念とそれを取り巻く強さに関する概念で十分である。(ルソーは利己愛そのものを否定していたわけではない。この歴史的経緯を書くと本論から外れるので置いておこう)

 

・考察

さて、ようやくここにたどり着いた。利己愛と自己愛、それに強さという概念を導入すると千と千尋の神隠しというテクストはなかなか興味深く読めるのではないだろうか。

 

千尋という少女は、まさに人間の本源的善性(≒自然)に基づいて、すなわち実質に基づいて判断を下しうる、そんな少女だと捉えられるのではないだろうか。であるから彼女はお金にも過度に美味しそうな料理にも興味を示さず、しかし素朴な塩にぎりに涙した理由が見えてくるはずである。彼女は湯屋、今風に言えば巨大ソープランドで生きていくために働く。そこはまさに利己愛の巣窟であり、そこで働く人々はみなこれに毒される。人々はみな利己愛に基づいて生き、それゆえに本当のことが見えない。湯屋の人々は、「リン」と「釜爺」「ハク」「お坊」を除いて彼女を除け者にする。湯屋の人々の文脈では、千尋は周縁の人であり余所者であり、そして理解不能なのだ。そういう時代が彼らにもあったはずなのに。

 

リンは物語の中で、雨でできた海を千尋と眺めながらぼそっと呟く。「おれいつかあの街に行くんだ。こんなとこ絶対にやめてやる。」と。「あの街」とはリンにとって一体どこなのだろうか。私には、彼女がもはや忘れてしまった場所、すなわち「自然」に満ちた周辺に他ならないのようにおもう。リンは「大人」になりゆくなかで、徐々にそれを失う(あるいは失わされる)が一抹の憧憬という形での希望は有している。だからなんとなく千尋を放っておけなかったのかもしれない。

 

湯婆婆と銭婆にも興味深い関係性が見て取れる。銭婆は、千尋が訪れる場面で次のような興味深いセリフをつぶやく。「あたしたち二人で一人前なのに気が合わなくてねぇ。ほら、あの人ハイカラじゃないじゃない?」と。

 

ハイカラとは何か。それは湯婆婆がまさに彼女たち双子の利己愛的側面を有しているというオマージュではないか。確かに湯婆婆はネズミに変えられたお坊を見てもお坊と気づけず、ただの土塊だったカオナシの出した金を見ても金と気づけなかった。銭婆は忘れ去られた「沼の底」でひっそりと暮らす。心の沼の底で忘れ去られた子どもの時の善性はもはや取り戻せない。湯屋(=表の世界)は湯婆婆(=利己愛の化身)によって支配され銭婆はまるで悪者のように扱われる。湯婆婆と銭婆の物語はこのように解釈できないだろうか。

 

カオナシにしてもそうである。カオナシはいつまでたっても満たされないルソー的に本当に弱い存在である。彼は見てくれを整えた金でもなんでも出せる。しかし、彼は充足感を得られない。彼は快楽に溺れてみても乾きは止まらない。そして彼は千尋という少女、すなわちそうした見てくれに興味を示さない、自らでは手に入らない価値を見つける。しかし千尋はそういうカオナシの本質的な空虚さがわかるから鋭く拒絶し、本当の彼を吐き出させようと苦団子を飲ませる。カオナシはみるみる弱り、ぼーっと沼の底へついていく。カオナシは沼の底の銭婆のところに行き着き、そこで落ち着く。なぜならそこは彼にとって即時的な見てくれの感情ではない、本質的な愛情と充足に満ちた場であったのだから。

 

お坊という存在もこの線上で解釈できる。お坊は最初次のようにつぶやき千尋を連れ込もうとする。「おんもにはわるいばいきんしかいないんだぞ。」と。お坊は外を知らない。湯婆婆はお坊を溺愛するあまり、彼に外の世界の美しさを教えず、お坊もそうと信じ込む。お坊のような子どもはあなたの周りにはいないだろうか。お坊はそれでも千尋につれられて見た外の世界の美しさに心開かれるが、若くしてすでに所有する喜びを覚え欲望にとらわれて本質的に生きられない、そんな子どもを。幼少期に親と外で遊ばず転ばぬ先の杖を施され、過保護を受けた結果、小学校の体育で転び方すら知らず頭から地面に突っ込む子どももいるとさえ聞く。

 

千尋は強い。そしてそう判断することを厭わない勇気を物語を通じて手に入れた。であるから最後、まやかしの問答では間違えない。湯婆婆は敗北し千尋は去る。ハクは千尋と出会うことで昔、強かった昔を思い出しそして名を思い出すことで自我を取り戻す。彼は悲劇を免れないが、彼は幸福を得る。そしてまさにこうして物語は閉じていく。

 

個人的に最も興味深い描写は、釜爺が千尋に切符を渡すシーンであろう。一連の会話が脳裏に蘇る。

「リン:電車の切符じゃん、どこで手に入れたんだこんなの。
釜爺:四十年前の使い残りじゃ。いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ。
(中略)
釜爺 間違えるなよ。昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。」

 

リンがどこで手に入れたんだこんなのということ、それはすなわちもう手に入らないことを意味する。そして40年前の使い残りであり、昔は戻りの電車があったということは昔は都会(無機質で利己愛に満ちた世界)と地方(自然に溢れ実質的な愛に満ちた世界)との間に行き来があったが近頃はそれもないこと、すなわち地方が消滅し、地方的な感情(オールウェイズ三丁目の夕日に描かれるようなそれ)が消滅しつつあることを示す。電車は虚構のそうした感情を探すもはやこの世のものではない御霊を乗せてさまようだけの片道の存在になってしまっている。釜爺はとうの昔にその感情を失っていたが、老い、子どもに帰るにあたってもしかしたらその感情を思い出したのかもしれない。宮﨑駿らしい現代批評であるといえる。

 

 

宮﨑駿の思想を概観すると、そこにはまさにルソー的な文明批評精神が通底することに気づかされる。そしてそれが失われてゆく現代にあって、彼がそれを守ろうと現実でもあるいは創作においても努力している姿がありありと見て取れる。彼もルソーも、稀代の偏屈者であり、ロマンチストであり、自己の矛盾に苦しむ人間であるという点も興味深い。現代に宮﨑駿やルソーの憧憬は如何に現出できるのだろうか。それに飢え、仮初の紐帯の中に自己を落とし込んで他者を排斥しようとする運動と、逆にそれを仮初であると断罪したまま一向に次の世界を描こうとしない運動の間にあって、我々は常に考えていかねばならない。

 

 

P.S.

名付けについて少しだけ触れる。名付けとは所有であるとはよく言われることである。名を奪うこと、そして名を与えること(所謂源氏名であろうが)はまさに千尋を湯婆婆が商品として所有したということに他ならない。名は体を表すという。名とは所詮表層的なものであるが、しかしやがて表層にあったイメージは深層に溶け込み抜けがたいしがらみを作り上げる。湯婆婆は真名という自己を隠すことで仮初に支配された湯屋という王国を支配し続けてきたのだろう。ただ1人「获」野千尋を除いては。

 

参考

セリフは以下

http://www.mnr.jp/ghibli/senword/s1.html

レポートは以下2本

・坂倉裕治(1991),「ルソーにおける<amour-propre>ルソー教育思想の構造理解のために」,慶應義塾大学社会学研究科『慶応義塾大学大学院社会学研究科紀要 』(31), p151-158, 1991 


・坂倉裕治(1996),「ルソーにおける利己的情念と「人間の本源的善性」論」,『教育哲学研究』 (73), 51-64, 1996