ある教育学徒の雑記

脳裏の落書きの保管場所

なぜブログを書くのか~このブログについて

私は思考し、自分の思考を伝達しようと意志する。するとただちに私の知性が技巧(art)をもって何らかの記号を用い、それを組み合わせ、構成し、分析する。こうして1つの表現、1つのイメージができあがる。それは、以降の私にとって、1つの思考の―すなわち非物質的事実の―肖像(portrait)となる物質的事実である。肖像は非物質的事実を私に思い出させ、この肖像を見るたびに私は自分の思考のことを考えるだろう。 

―Jacot, Joseph., Enseignement universel. Droit et philosophie panéstique, Paris, 1838, 11-13
    訳はジャック・ランシエール『無知な教師』,梶田裕・堀容子訳,法政大学出版局,94 を参考

 

このブログは、ある大学で教育学を学ぶ一人の学徒が、ただ思いつくことをとりとめもなく書き留めた、「雑記」である。ブログの文体はひどく散逸的で、非論理的、かつ専断的で多くの誤謬を含む。けれど、このブログを書くことは、私にとって多くの意味を持つものと思われる。

 

ブログに現われた表現は、その時々の私の思考の参照点―「肖像」―である。多くの至らなさを含み、多くの不正確さに目をつぶり、恥も外聞もなく書いてみる。書いてみることによって私の思考は整理され、相対化され、確認可能なものになる。後から、いくらかの知識を得た後に、その参照点に立ち返ることで、私は多くの至らなさに赤面する一方で、無知ゆえに洞察していたいくつかのことを思い出すことが出来る。あるいは私が「至らなかった」論理を確認することができる。

 

これだけの理由であれば、チラシの裏に書き溜めておくか、よくて非公開の場に留めておけば良い。しかし私はこれを公開している。それは2つの理由による。1つは他者による「まなざし」こそが思考の整理に役立つからである。「誰か他の人が私のこのとりとめもない文章を読んでいる」というまさにその事実こそが、私に、私の思考を整理した、私が既に知っていることをくどくどと確認するような、ひとまとまりの文章を書かせるのである。(ただ単に私のための「メモ書き」であれば、内容は当然もっと短くなる。大抵読んだ本の引用一文とかその程度で済む。けれどそれでは残らないものがあるのだ。) 2つは、ブログの記事が生むコミュニケーションを楽しみたいからである。「チラ裏」を公開することで、誰か―それは私の知っている人かも知れないし、SNS上の全く知らない人かもしれない―が、それを読み、何らかの意見/感想をしばしば言表してくれる。これは、極めて有意で得難い経験である。

 

私は自らの興味関心の赴くままにブログを書く。その時々で読んだ本に影響を受け、時勢に刺戟を受けてものを書く。私は、私がここで書いたことについて、責任を持つ気はない。だから、確認するまでもないが、読まれる方も自由に読み、あれこれ言っていただいて構わない。匿名が生む「自由」を楽しみたいからこそ、私はブログを書いているのである。

 

思考はある精神から他の精神へと言葉の翼に乗って飛ぶ。一つ一つの単語はただ一つの思考だけを運ぶことを意図して送り出されるのだが、話す者の知らぬ間に、そして彼の意に反するかのように、この言葉、この単語、この幼虫は、聞く者の意思によって豊穣なものとなる。

- ibid.

共に生きることについて

誰かと共に生きる、ということがこれほどまでに大きな問題となった時代は稀であるかもしれない。日々、「私」とは異なる予想を超えた価値観、生き方を持った「誰か」が提起され、彼らとどう共に生きるかが問われ続けている。こうした問題はしばしば、「共生の倫理」を巡る問題として理解される。

 

 

他者とどう生きるか-この問いが、明確に問題として意識されるのはしばしば、誰かと共に生きさせられる(生きざるをえない)ことによって、深刻なダメージを受けた人びとの間においてである。虐待にせよ、いじめにせよ、ハラスメントにせよ、DVにせよ、日常生活で生まれる様々などうしようもない問題にせよ、共生を強制された他者から受ける深刻なダメージこそが、「共生の倫理」の問題系を駆動させる。しかし、こうした駆動の契機こそが、共生の倫理に関する議論における根本的な矛盾をしばしば生み出している。その矛盾とは、「他者と共に生きる」ことを要請する共生の倫理が、ある考え方を持った「他者と共に生きたくない」という実際生活上の要請によって問題化されている、という矛盾である。やや乱暴に言い換えれば、包摂の倫理の始点が、誰かを倫理に反する悪として排除することから始まっているのである。

 

この矛盾はしばしば、共生の倫理の思考を、多分に説得力を持ったかに見える、誤りの方向へ引っ張っていってしまう。矛盾はしばしば、共生の倫理の問いを「他者と(私は)いかに生きるべきか」から「どのような他者と生きるべきか」へと転化させてしまう。そして、後者の立場から構築された「倫理」は、否定できない「公準」としての振る舞いを見せ始める。すなわち、その「倫理」に従うものが、共に生きるに値する「我々」であり、「倫理」に従わないものは、共に生きるに値しない「他人」である、というように我々/他人を切り分ける疑いえない公準として、「倫理」が機能してしまうようになる。更に、こうした態度は進んで、共生の倫理に啓蒙的な語感を付与する。すなわち、疑いえない公準としての「倫理」を持つものは、持たざるものの上位に立って、それを「啓蒙する」立場を自認するようになる。ここに至って、共生の倫理は、「共生」の思想に反して、孤立した、ある人びとの内輪ルールへと堕していく。


ところで、こうした展開について、私はそれが「説得力」を持っていると評した。なぜか。それは、こうした論理展開自体が、傷ついた弱い人びとの実体験から生成される、無理もない展開だからである。現に、他者によって「私」の内面的な部分を疎外され傷つけられた人びとにとって、そうした加害者と共に生きないこと、自らのような被害を繰り返させないような倫理を構築し、それを啓蒙しようとするのは、当然の防衛策であり、まっとうな「倫理」意識だからである。しかし、大きな問題は、こうした「説得力」が、上記のような論理的道程を辿ってしまうことであり、それを批判しづらい情勢を作り出してしまうことである。


私論によれば、共生の倫理とは、以上のような被害/加害から啓蒙/野蛮の構造へと転化していく二元論的対立を超克したところに構想されなくてはならない問題である。なぜなら、「共に生きる」とは第一義的に、こうした二元論を区切る「/」をいかに放棄するかを突き詰める思考だからである。

 

ただし、共生の倫理をこのように定立したからといって、共生の倫理にはもう一つの、陥りがちな誤った道筋があることにも注意しなくてはならない。それは、二元論を区切る「/」を放棄する方途として「みんなちがってみんないい」を採用することである。なぜなら、「みんなちがってみんないい」を唱えることが、根本的に、「みんなちがう」ということによって駆動される「共生の倫理」の問いを骨抜きにしてしまうからである。

 

「みんなちがってみんないい」はしばしば、大きな暴力へと転化する。それは、「みんな違うが、それはすべて良いことではない」という言説に対して振るわれる暴力である。「みんなちがって、みんないい」は、しばしば、ある特定の「善い」生き方を志向しようとすること-「倫理」的に生きようとすること-全てに対する否定として働く。なぜなら、倫理的に生きるとはまさに、「みんな違うが、目指されるべき正義がある」ことを承認し、そこに向かって生きようとする態度だからである。「みんなちがって、みんないい」の最大の問題点は、倫理的態度それ自体を、「みんなちがって、みんないい」という「倫理」に反するものとして排除の対象としてしまうことにある。

 


さて、以上のように考えてくると、共生の倫理は、極めて困難な足場の上に立つ倫理であるように思われる。なぜなら、それは、真理を公準とする倫理が持つ暴力性にも抗しながら、一方で倫理の持つ切り分けをすべて否定し、フラットに承認を要求する暴力性にも抗しなくてはならないからである。共生の倫理は、この意味で、強くポストモダニズム的立ち位置に存在する倫理意識である。すなわち、固定的な真理なるものの暴力性と不可能性を提起する一方で、今ここにはない真理(正義)のもつ価値を承認し、それを希求し続ける、という両義的にも見える態度を保持し続けなくてはならないのである。ジャーゴンをあえて用いれば、「脱構築」は弁証法が作り出した価値の三次元的上昇の構造をも否定した先でなされる二次元平面上の無邪気な「戯れ」では断じてなくて、「戯れ」を繰り返すことで「世界精神」という安住の地をも脱化し続け、3次元的な「上」へと止揚し続けることを唱えた思想的決意なのであり、この「戯れ」によって希求され続けるものこそが、今ここにはない「共生の倫理」という名の正義である。

 

しかし、こう考えることにもまた、1つの大きな問題が含まれる。それは、このように「共生の倫理」をポストモダニズム的潮流に位置付けたところで、具体的な解決が一切達成されていないことに起因する。すなわち、こうした「位置づけ直し」自体は、価値の実現という問題に対して何ら寄与しない、1つの無邪気な「戯れ」に堕してしまうのだ。共生の倫理は今ここにはない、と論じたところで、今、共に生きることについて苦しみ、傷ついている人びと、共生の倫理を希求し続けている人を実際的に救済する「倫理」は一切導かれない。それどころか、そうした救済を求める人たちに対して、「救いはない」ということを突きつけているにすぎない。

 


では、共生の倫理とは、少なくとも何であるべきなのだろうか。このあたりから私の思考は心もとなくなってくる。頭でっかちにできた思考が、「実践」という問題の前に躊躇してしまう。結局、実践を問われると、安易な「承認」の試みへと傾倒してしまうのだ。上記で批判してきた、「みんなちがって、みんないい」という態度をとることが、実践上の次善策ではないか、とさえ思えてくる。


今の私には、1つの理論的隘路を抜ける「信念」を立てておくことくらいしかできない。それは、「共生」を巡って、ジュディス・バトラーハンナ・アーレントの『イエルサレムアイヒマン』を手がかりに導いている規範的態度である。バトラーはいう。

 

私たちが共に生きようと努力するのは、人類全体に対する愛からでも、平和への純粋な願いからでもない。私たちが共に生きるのは選択の余地がないからである。……私たちは、選択の余地なき社会的世界の究極的価値を肯定するために闘争することを義務付けられている。【ここで言う】肯定とは必ずしも選択することではなく、闘争とは、生の平等的価値へと宿命的に取り組むために自由を行使する際に、認知され、感知されるものである。……「そこ」で起きていることが「ここ」でも起きているということ、また「ここ」が既に他のどこかでもあり、かつこうした事態は必然的にそうである、と私たちが理解するときにのみ、私たちは、「倫理」と今なお呼びうるものの広まり【transport】と強制力【constraint】を知るという形で、困難で変化するグローバルな結び付きを捉える可能性を得るのである。
-Butler, Judith(2015),Notes toward a performance theory of Assembly, Harvard College:122

 

バトラーが語るように、私達はどのように否定しようが共に生きているのであり、共に生きさせられている。だからこそ、私達は共に生きるこの世界を「肯定」するために、共生の倫理に向けて闘争し続けなくてはならないのだ。バトラーの議論の最大の威力は、この「共に生きさせられる」という意識を排除ではなく、共生の倫理に向けた闘争へと向けかえていること、すなわち共に生きているからこそ、「私ではない他者」、「私達ではない他者」を、「私(達)」という〈同〉に還元することのない形で把握する義務を析出している点にある。「共に生きざるを得ない」という事実が、国境、人種、距離、時差といった「私達」と「彼ら」を区切る線を廃し、「世界」のうちにおいて共に生きる存在、というグローバルな視点をもたらすのである。

 

ただし、バトラーの議論は「信念」の域を出ていないことにも眼を配っておく必要があるだろう。なぜなら、バトラーの議論が定立する、「共に生きさせられる」ことによって呼びかけられる「義務」とは、レヴィナス譲りの形而上学的な議論から析出されたものであって、それが全ての人にたちどころに承認される「真理」ではないし、そうであるべきでもないからである。むしろ、理解すべきなのは、バトラーのこの「信念」が共生の倫理の隘路をくぐり抜ける、戦略的な有効性を持っている、という点にあり、かつそれを「信念」として批判的に再構築し続けようとする我々の姿勢の重要性である。

 

 

要は最後の言葉を引きたいがために長々と議論を続けてきたわけであるが、備忘録としてのこの分量もそれほど無意味なものではあるまい、と自己弁護して、この雑文を終えたい。

「死」について

あれから1年が経った。

 

この1年、祖父の死に始まり、加えて2人、同年代の訃報に触れた。短い人生の中で最も「死」について感じ考えた1年だった。このことをささやかながら備忘録として、祈念として、今後の決意として、残しておきたい。

 

 

「死」とはどうしようもない事実である。死は永遠の別れであり、我々が経験可能な「生」との隔絶である。いかに願おうが、想起しようが、表象しようが死を経由しては喪失しか思い起こされない。普段いた場所に、彼はもう、もはや、二度と帰ってこない。普段見慣れていた表情とも、言葉とも、眼差しとも、もはや出会うことはできない。

 

死の前には、いかなる言葉も、写真も、映像も、その虚構が暴かれる。それらが写せなかったもの、残せなかったものが死の前では痛いほど露わになる。「表現」とは平生、こうした「○○でない」という部分が豊かに解釈されることで生まれる、柔らかなリアリティをまとっているはずのものなのに、死の前にはこうした「豊かさ」や「柔らかさ」が取り払われ、冷たく鋭い「死」を思い起こすものになってしまう。すべての表現は、死を経由して、鋭く厳しく、見る「私」(「私達」)を貫いていく。

 

 

我々はいろいろな方法で「死」の意味を和らげようとする。「誰かがもういない」という事実を様々な物語で糊塗しようとする。緩やかな意味でいう「宗教」(re=ligion)はまさにこうした働きを持っていた。宗教は神や摂理によって、「もうここにはないもの」(=死)、「いまここにあるもの」(=生)、「まだここにはないもの」(=誕生)の裂け目を再び=結びつけ(re=ligio)てきた。それらの教えもまた、死の前にその虚構が露わになるのだけれど、我々は祈りと信仰によって、それにすがって前を向くのだ。

 

だからといって、私は、宗教のもつ以上のような虚構性をもって、それが無意味であるなどというつもりはない。死を前にしてこそ始めて、「宗教」のもつ力を理解することができた、ということを記録したいのである。何らかの物語がなければ、我々は死の鋭さに向かい続けられない。誰かがもういない、そして私も、私の周りの誰かも、すべてがいつかいなくなるのだ-という事実に、物語抜きでは向かい続けられない。これこそ人間の「生」が胚胎する、人間らしい脆さ、弱さなのだ。「死」は、我々が普段、肩をいからせ誇示している「強さ」を壊し、脆さ、弱さを浮かび上がらせる。その脆さ、弱さに向き合った、「宗教」=「物語」があるからこそ、我々はまた明日を生きていける。もし、物語を抜きにして死の事実を無視できると思うのであれば、そこにはすでに別様の宗教=物語が入り込んでいるだけである。

 

 

世間には、あまりにも強すぎる表現がしばしば溢れている。正しく、善く、健康で、美しい-そんな「強い」思考のあり様ばかりが希求されている。こうした価値観に従わないものは、無知蒙昧な弱者であり、排除されるべきだ-そんな論理が蔓延している。こうした情勢にあって、「強さ」を支えるはずの「弱さ」の論理もまた、見失われているのだ。我々の「弱さ」、そしてその弱さを支えている「宗教」=「物語」のあり様を見つめずして何が「強さ」であろうか。「私は弱くない」と肩をいからせることほど貧弱なことはない。本来の強さとは、「弱さ」と向き合い続け、それでも前を向き続けようとする姿勢ではないか。なぜなら、「弱さ」と向き合い続けるためには、必定、冷酷な「死」の事実と向き合い続けなくてはならないのだから。弱さの否定とは、無意識のうちに、「死」の事実を遠く彼方に追いやり、見ないようにしているだけである。

 

 

 

ここ1年で触れた訃報はいずれも突然だった。メールやLINEで、短い文面で唐突に「死」という事実だけが伝えられた。平生、写真を撮りためているばかりに、死に直面すると故人の写真を見返し、取りまとめざるを得ない。見れば見るほど、そこに写しきれていないものが思い起こされ、喪失感に苛まれた。故人の写真データをまとめ、現像ソフト(Lightroom)に放り込み、1枚1枚、実際色に近づくように現像し直すときほど辛い時間はない。めくってもめくっても、失ってしまった「顔」が私を見つめ続ける。けれど、私の写真によって、私の作業によって、当時の断片を、わずかでも明瞭に思い起こしてくれる人がいることを思えば、その作業から逃げるわけにはいかない。それがいくら虚構だとわかっていても、それは私を含む、我々の救いになる、そう信じて作業を続けた。

 

祖父の遺影は私が撮った写真になった。当時は辛いばかりだったけれど、今、祖母の家に掛けられている遺影を見ると何やら救われた気分になる。笑顔にカメラの方を向いた祖父。それくらいは私でも残せたのだ。こういう心持ちの中で、今、この記事をいったん、終えようと思う。1年を経た、私の決意とともに。

「見る」ことと「撮る」ことについて

何かを「見る」ことがあり、何かを「撮る」ことがある。そして、何かが「見える」ことがあり、何かが「撮れる」ことがある。この差異は何なのだろうか。ずいぶんと重たい問のようにも思われるが少し書いてみたいと思う。

 

問いに問いを重ねてみる。「撮る」ためには、「見る」ことが必要なのだろうか。よく「見える」から、よく「撮れる」のだろうか。それとも、よく「撮れる」から、よく「見える」のだろうか。

 

問いばかりであまりおもしろい展開ではないかもしれない。けれど、これは重要な問いである。これを説明するためには、恐らくこの記事を書こうと思った背景を、一度さらっておかねばならないだろう。この背景とは簡単である。写真を撮る〈私〉が見ているものについて、私自身が強く疑問に思う場面が大いにあることが、これらの問いを招来している。私が写真を撮る時、何を見ているのだろうか。恐らく、私は目の前のものを、そのまま見ているわけではない。例えば単焦点レンズで写真を撮る時、私の眼は明らかに画角に限定される。50mmであれば、50mmの画角に向けて身体が動く。そして、カメラとレンズが吐き出してくる絵を、撮る前に、目の前のものに読み込んで見ている。そして、その読み込まれた絵(見られたもの)が望ましいものであるからこそ、私はシャッターを切るのだ。写真を撮る時、私の「眼」は、判断するものの眼になっている。

 

 

けれど、判断は多くの場合狂う。カメラは、私が読み込んでいないものを吐き出してくる。それは、あまりにもしばしば、明らかに私の意図の外側にあるものを出力する。そこで、私は共生/矯正を試みる。設定を見直したり、編集で整えたりする場合、あるいはそれはそういうもんだと受け入れて、自分の「望ましさ」の判定基準をアップデートする場合。その場で、「なぜ」撮っているのかに応じて、この方法は作り変えられる。何にもまして写されなければならないもの(記録されなければならないもの)があれば前者の様式がとられるし、そうでなければ後者の様式がとられる。ただし、この対応は排反ではない。相互に両立する。絵の出方を見て、自分の撮る眼をアップデートしつつ、カメラ側の設定もいじる、ということが実際の大半を占める。

 

我々はしばしば、芸術に対して、ある余剰を読み込みたいと思う。もう少し簡単に言えば、自分の「普通」や「意図」を超えでた何かを読み込みたいと思う。だから写真を撮る、という行為にも、ある余剰を見たくなる。すると、極めてよく見ながら、見方をしばらない、ということが必要になってくる。余剰は、余剰が生まれる隙があるからー余剰が遊ぶ隙があるからー生まれるのだ。余剰は、「見る」と「撮る」が互いにずれているから生まれるのであろう。

 

ところで、この余剰とは、どうにもならないものでもある。〈私〉の理性に対する感性(感情)が、〈私〉との関係性にのみ縛られない他者が、〈私〉が住まうこの世界が、全て、私にとって大いなる余剰である。余剰を見ないようにすることは出来る。それが、古典的な「真理」の役割であり、よく教育された、ということの一つの在り方であっただろう。しかし、そんなものが役に立たない場所で、私は余剰を浴び、余剰は「撮れる」もの、「見える」ものとして私の前にたち現れる。「撮る」と「見る」の間にあって、曖昧な「先」として。

 

 

最初の問いに戻ってみよう。「撮る」と「見る」が違う、ということはわかった。後者の問いについても少し考えてみれば、こんな答えを導くことが出来るかもしれない。すなわち、撮るとは見=直す、ということであり、見るとは撮=り直すということである、というように。撮るとはよく見ることであり、よく見るとは撮り直すことである。撮るとは余剰の可能性を開くことであり、それは見ることによって可能になる。逆もまた然り。見るとは余剰の可能性を開くことであり、それは撮ることによって可能になる。相互に関係した異なる行為として、「見る」と「撮る」を考えることが出来る。

 

話が難しくなりすぎたかもしれない。その理由の一端は私自身が、このことを飲み込みきれないまま書き始め、ついに飲み込めていない、という点にあるだろう。ただし、雑記らしい雑記というのはこんな目的で書かれるものである。

社会問題の「教育化」について

私の見聞する限り、あまり知られていないタームに「教育化」educationalizationというものがある。ターム自体は聞き慣れないかもしれないが、指している意味は極めて明瞭である。すなわち、社会問題の解決を教育に託すこと、教育の問題にすげ替えることを「教育化」と呼ぶ。

 

「教育化」は、古今東西うんざりするほどたくさん行われてきたし、昨今の情勢はますますそうした傾向にあるように思われる。例えば、グローバル化だから英語教育だ、IT化だからプログラミング教育だ、18歳選挙権だから主権者教育だ、18歳成人だから消費者教育だ、というように。もちろん、これ以外にも「多文化共生」の教育、インクルーシブ教育などもこうした「教育化」の論理として跡づけることができるかもしれない。困難な問題の解決を教育を通じて未来の世代へ先送りすること、それが「教育化」の1つの典型的な論理である。

 

しかし、「教育化」が、「よりよい未来」を向いているならばまだ話はわかる。けれど、しばしば「教育化」の誤謬とも言うべき論理が耳につく。「ゆとりだからどうだ」とか「学校教育が学力保障をしていないから日本の国力がどうだ」とか、そういうたぐいの言説である。もちろん、何がしかの相関はあるかもしれない。けれど教育だけがその問題の全てではないし、むしろ、もっと別の論理を棚にあげた議論であるようにしか思えないこともしばしばである。こうした議論に通底するのは、何か、自分が見つけた「失敗」、もっと大きく言えば「自分の」失敗を教育のせいー他人のせいーにして安心したい/解決したように見せたい、という心理である。こうした議論は基本的に生産性がない。生産性がないがあまりにも日常的に行われている。なんでもかんでも「教育改革」したいどっかの国の中央政府がその最たる例である。

 

 

ずいぶん「教育化」の論法について批判的に言を進めてしまったが、「教育化」それ自体が全く正しくない論理か、というとそういうわけでもない。むしろ、社会問題を「教育化」して考えることは、よりよい明日を見据え、子どもたちの今と向き合おうとする真摯な思考態度を引き起こしうる。少なくとも、社会問題を真摯に「教育」の問題として取り上げなおそうとするのであれば、その思考の道程は困難ではあっても極めて有益で、かつ必要なものになるだろう。そして、確かに、社会問題の一端として教育が大きな課題である場合も多いのだ。この部分を正しく切り分けてあげるかぎりにおいて、「教育化」は必須の思考態度である。

 

ところで、現場教員の話を聞いていると、10中8,9、この「教育化」への感情的違和感を口にする。最も単純化していってしまえば「全部俺たちに押し付けやがって」という教員側の感情的反発がそれにあたる。ただし、誠実な教員というものは、何も教育化を全否定するわけではない。可能な範囲から社会の問題を引き受け、それを教育化して考え直し、日々実践につなげようと努力している。私自身の戒めであるが、我々に必要な態度というのは、そういう教員の姿勢に対して、大上段から「ぼくのかんがえたせいぎ」論を振りかぶってやっつけて自己満足しない、というものであろう。

 

少し話がそれた。ただ言いたいことがそれたわけではない。それは、「教育化」に必要な切り分けの話である。すべての「問題」は教育化可能であるように思われるが、教育化以前に一度立ち止まる必要がある。それは本当に教育「だけ」の問題だろうか。それは、教育に丸投げしただけでどうこうできる話なのだろうか。教育化するまえに、今の私たちが変わらねばならないのではないか。そう自問して見るだけで教育に関する議論はずいぶんすっきりする。しばしば忘れがちな論理であるので、備忘録的に記しておく次第である。

平成最後の夏の甲子園に思うこと

力なく上がった飛球がライトのグラブに収まり、夏の甲子園が幕を閉じた。「平成最後」「第100回」という2つの節目を持った大会は、甲子園らしさと平成らしさが交錯した大会であったように思われる。

 

甲子園とそこで生まれた物語について詩的な言葉を弄するのはやめておこう。物語に対する素直な感動を書き綴ることが本稿の目的ではない。むしろその逆、我ながら興ざめにも思えるが、幾分大きな視点に立った論を講じてみようというのが本稿の目的である。「平成最後」で「第100回」の甲子園が、素直な感動の一方で私が感じた、もう一つの読後感である。

 

今回の甲子園も、例年同様たくさんの物語に彩られた大会であった。そのうちの一握りさえも私は読めていないわけだけれど、特にフォーカスされていたのはやはり金足農業のエース、吉田くんの物語であろう。彼は物語の主人公として、背負いすぎるほど様々な属性を背負っていた。決して「強豪」とは呼べない公立の農業高校のエースとして、未だ東北にもたらされたことのない真紅の優勝旗を求めて、並み居る強豪校、強打者を抑えていく姿は観るもの多くの心を打った。彼のこうした「主人公像」は、伝統的な意味で「甲子園らしさ」であって、決勝で力尽きたとは言え、彼の物語は甲子園という歴=史に、刻まれていくことだろう。それは、日本人が数多の成功体験の中に読み込んできた「ジャパニーズ・ドリーム」の一端でもあった。

 

ただ、彼の物語をただ美談としてのみ読み込み称揚するような雰囲気が、全体的であるかと言われると首をかしげざるを得ない。ある意味「平成」という時代を経て徐々に培われてきた、モーレツ批判=「ブラック批判」的眼差しがそこには注がれていたのである。こうした視線は彼が連投を続けるたびに、そして今年の異常な酷暑が取り沙汰されるたびに私の中で否応なく存在感を増していった。こうした視線は、甲子園に取り組む球児たちの多くにとっては興ざめに感じられるだろうし、それを楽しもうとする私を含めた多勢にとって邪魔なものでしかなかった。けれど、私の中にある「平成らしさ」はそれを捨て去ることを許してくれなかったのである。それは斎藤佑樹や島袋洋奨の末路を知っているから、というのとはまた別の文脈からくるものであった。

 

 

「ブラックな部活動」が問題となって久しい。多くの暴力的な指導、独特の親密圏に蔓延る不正が白日のもとにさらされては、社会的な批判を浴びてきた。そして、こうしたブラックな部活動問題は、日本社会の重大問題として観察されているモーレツ的基質=ブラック企業体質と地続きのものとして告発されてきた。一方で、部活動によって、高校生が「何か」に全力で取り組む様は、代えがたい教育効果を持つものとして、あるいは麗しく感動を与えるもの、「よき思い出づくり」として一定の位置づけが与えられてきた。

 

両者は接続してもいるし、分離してもいる。というのも高校生が全力で自発的に取り組もうとする姿勢が、結果的にブラック化を強固に支えている側面がある一方で、全力で自発的に取り組むこととブラック化は不可分であるとは言えないからだ。両者の〈間〉、すなわち全力で自発的に取り組みながら、ブラック化を回避する、という取り組みのあり方は教育学者をのみならず多くの場で議論されているが、一向にまとまりを見せない。こうした不統一は、ひとえに「何をブラックとみなすのか」があまりに論争的であることに起因するように思われる。

 

金足の吉田くんに注がれていた視線は、彼が一球児として「投げすぎている」ことにだけ起因するものではなかった。彼が「プロ注目の投手として」「甲子園で」投げすぎているから問題になっているのである。前者は本論で扱いたい原因ではない。念の為言っておけば、私は野球一般を観戦することも好きだし、そうした視点から吉田くんのような素晴らしい選手が、酷使のために今後のキャリアを彼の能力に比した形で送れないことを危惧する気持ちは十分に理解できる。ただ本論が扱いたいのは後者の視点である。彼は、「甲子園」で投げすぎているように見えるのだ。「甲子園」は日本の部活動文化の典型にして頂点である。ただ球児たちのみがそこに憧憬しているわけではない。私を含めて野球部に所属していなかった多くの人々にとって、「部活動」、もっと広くとって高校生としての「卓越」の1つの結実は「甲子園」にあるのだ。そこで展開される「ブラック的な」現れ。そこに何かしらの象徴的な意味合いが読み込まれることは無理からぬことであった。「甲子園らしさ」に対して向けられる「平成らしい」視線。私は、我々はいかに向き合っていくべきなのだろうか。

 

 

甲子園というのは、比較的管理された大会である。その全国的な注目の高さゆえにというべきか、球児たちの健康には比較的高い配慮がなされている。そして、野球という競技の性質上、重度の熱中症にさえ配慮すれば、ほぼほぼ即座に命に関わるような故障も起こらないだろう(頭部への死球は除く)。もし甲子園で何らかの怪我をしたとしても、多くの球児たちにとっては「名誉の負傷」でしかなく、彼の今後の思い出とはなっても、彼の今後を暗澹と規定してしまうようなものにはなりえないことが想像される。そんな彼らに対して、やれブラックだ、やれ投球制限だと言って制限=保護をかけようとするのは、彼らの「全力」に水を差す余計なお世話かもしれない。だいたい、いちいち「苦痛」や「強制」のすべてを告発していたのでは競技スポーツは成り立たない。もうやめたいとさえ思ってしまうような、きつく長い数多の経験を、歯を食いしばって堪え続け、最後の瞬間まで自らの限界の限り全神経を集中させることによってのみ、一瞬の卓越が手にされる。その瞬間にしか許されない愉悦、固有の価値を知っている人ほど、こうした無用な保護はそうした価値を否定するようなものにさえ思われるのだ(私も競泳を長いことやっていたから気持ちは理解できる。ただ競泳は個人スポーツであったから野球のような団体スポーツではまた違った感覚があるのかもしれない)。この限りにおいて、彼らに「平成らしい」眼差しを向けることは筋違いなのかもしれないとさえ思う。

 

一方で、そうした愉悦にまで、「興ざめな」批判の眼差しは向けられる。それは果たして「教育的」と言えるのだろうか。自己と比した卓越からくる愉悦ならいざしらず、他者と比した卓越からくる愉悦は、エゴイスティックな優越感を生むばかりで、「人格の完成」に何ら資するところはないのではないか、とも。現に、そうした愉悦を知っているはずの多くの人々が、いじめやブラック化に加担し、そうした価値観を他者にも押し付けようとしているではないか。むしろ、そうした優越感を肯定したいのは、自分がやってきたこと-理不尽や過度の無理を含む「努力」-の意味付けをしたいからであって、決して本来尊ばれるべき固有な価値を守ろうとするためではないのではないか、と。こうした限りにおいて、我々が高校生の、本来不必要な苦痛を含む「全力」にまで読み込んでしまう感動というものは、一種の自己正当化でしかなくて、自己正当化の循環に高校生を不必要に組み込もうとしていることではないか、とさえ考えられる。酷暑の中無理を承知で戦い続ける彼らを、クーラーの効いた部屋であれこれ言いながら眺め、無邪気に感動する風景。時代はこうした風景に、幾ばくかの暴力性を読み込まないではいられないように仕向けているように思われる。

 

 

私は若干戸惑っているのだ。私の中にもたげ続けていた視線について。こうした視線はただただ無用なお節介に過ぎないかもしれない。あるいは、私が思う「価値観」を、たまたま私の眼前に映っただけの「球児」に押し付けたいだけの、エゴイスティックな配慮の発露なのかもしれない。こう思ってみても、消えないこの視線について、私は戸惑っているのだ。私は勝手に、こうした視線について「平成らしさ」という名前を与えてみた。「平成」という時代を通じて高まってきた、伝統的な「甲子園らしさ」を味わうためには無用な、邪魔でさえある視線。それが交錯した平成最後の夏の甲子園は、次の時代にどう変わっていくのだろうか。その未来は、誰か一人の手にあるものではなくて、人と人との〈間〉に賭けられているようにも思われる。また、それは誰しも冷笑的であってはならない1つのアポリアを示しているものでもあるだろう。

早稲田オーキャン立て看のダサさと「早稲田らしさ」

ここ2週間位、早稲田のオープンキャンパスで学生サークルの立て看を撤去して大学側が貼っつけた(クソダサい)看板をめぐって学生界隈で少し騒ぎになっている。記憶が正しければこの立て看と標語は去年辺りから大学側が使い始めているし、去年も全撤去はあった。ただ今年はオーキャン関連で学生サークルに対して締め付けが厳しくなったこともあって若干燃えている。本稿では、その標語の絶望的なダサさについて滔々と書いてみたい。

↑立て看はこういうもの

 

ダサさの根本は、言葉取りに知性がないことにある。一応自負も込めて日本一の私立大学だと思っているが(三田にある宗教法人は知らない)、この言葉取りの絶望的な知性のなさは大学の品位そのものに関わる。そして多くの場合自己矛盾を起こしている。とりあえず見つけられる限りの標語を引用して1つ1つやっつけていこう(レイアウト上の改行はなかったことにする)

 

君たちが世界だ。世界をつくるのは君たちの言葉だ。
You are the world. The world that your words create. 

 

 全体の中で最も目立つ形で貼られている標語である。知性がないポイントはいくつかあるが、まず日本語として読みにくい。君たち=世界と定義されたのに、なぜその世界を「つくる」のは「君たちの言葉」なのだろうか。君たち(立て看に名指された僕たち)そのものが世界であるならば、君(僕)がここに在るだけで世界は成立するのになぜわざわざ言葉でもってつくり直さねばならないのだろうか。

 

そもそも「世界」とは容易に使えるタームではない。ヘーゲルの「世界史」、ハイデガーの「世界内存在」などがぱっと浮かんだが、それこそ「世界」中に多くの世界解釈が存在する。「君たちが世界だ」的な独我論的世界観もないわけではないが、それは別の標語で大学側が提示する「人間を愛せ」的な思想とは全く異なる、認識論上の議論の上でのことだ。「世界をつくるのは君たちの言葉だ」だけなら、まだ了解可能であったが、かっこつけて加えた「君たちが世界だ」が恐ろしくダサい(ついでに言えば立て看を立てることで大学側は世界(=早稲田)をつくる一端を担っているはずの僕たちの言葉をかき消している。世界をつくる言葉は学生だけのものでもないが、当局だけのものでもない。)

 

国籍や、文化や、言語に関係なく、人間を愛そう。

Regardless of nationality,culture or language,open your heart to others.

 

言っていることはわかる。ただこれに関しては英語のほうが意味が通りやすいし暑苦しくない。なぜ「人間を愛そう」などという暑苦しい日本語の言葉取りをしてしまったのだろうか。噂によれば某広告代理店への外注だと聞くが、そういう香りがプンプン漂ってくる。そういう文化圏には生きていないので見ていてキツイ。

 

正義だらけの世界を正せ。

In a world overrun with righteousness, be the one who does what’s right.

 

これまでで、日本語の標語については一番同意できる。一般的な意味で言う世界には「正義」「正論」ばかりがはびこっていてちっとも面白くない。そして、「正義」や「正論」がいつも1つだと信じている人びとはあまりにも多い。正義はひとつならずあり、世界を正す方法だって一つならずある。それを見つけ、それに向かって生きることは極めて重要な構えだ。ただ個人的に英語が気に入らない。『ハムレット』の一節をはっつけておこう。私が最も気に入っている一節である。

 

The time is out of joint. O, cursed spite,
that ever I was born to set it right! 

時間(世界)の蝶番が外れてしまった。ああ、なんと呪われたことか。
それを正すためにこの世に生を受けたとは。

 

去年の自分には絶対に出来ないことをやれ

Do something that last year’s “you” would never imagine you could do.

 

わかる。とてもわかる。願わくば「絶対にできないこと」が「できる」ような防護壁(アジール)に早稲田大学がならんことを。現状は保護をしてくれないどころか、「絶対にできないこと」をできないままに止め、「やってほしいこと」に変えようと必死なようにも見える。

 

教養は、君を自由にする武器だ。

Arm yourselves with knowledge. And freedom will be yours.

 

日本語はわかる。教養を最も素直に英訳すればliberal artsであり、正しく「自由」のための「業」である。ただ、日本語と英語が噛み合っていない。教養=knowledgeはかなり引っかかる。ただ、ニュアンスを取ればまあギリギリいけるかもしれない。

 

異物になれ、異質になれ、異和感をもて

Be unconventional. Be uncommon. Be unexpected.

 

英単語のとり方がダサく日本語とつながらない。そして、異物、異質、異和感なるものがこの大学で正しく大切にされているとは思わない。こうした異なる感じの前につくのは、だいたい「望ましい」という形容詞である。望まれない異質感は、排斥され矯正される。確かに、人と違うことをしようとする姿勢が「大学」という組織に束縛される必要はないし、大学に守ってもらわなくたってできることはできる。けれど大学がそういう価値を認めてくれるに越したことはない。公式にこういう標語を出すのならばぜひ実践してほしい。

 

この世界から、嘘をなくそう。君たちからだ。

Rid the world of lies, starting with your own.

 

「お前らからまず嘘をなくせ 」という最もな指摘はおいておいて、嘘がない世界などというユートピア、もといディストピアを私は生きたいとは思わない。嘘はしばしば我々を生きづらくさせるけれど、それと同じくらい我々を生きやすくさせる。この両義性、どうしようもなさこそが人間臭さである。嘘は望ましいものではないかもしれないけれど、嘘のない世界は私にとっては望ましくない。(あと英語のテンポが悪い。)

 

 

とりあえず見つけられる限り7つの標語を挙げてみた。個人的にこの問題に関して「大学側の抑圧だ!」とか過度に熱くなる気はしない。大学が無条件に学生側の表現のすべてを「公認」せよなどという気はないし、すべてを「公認」してくれなど縋り付く気もない。ただ、「あれは学生が勝手にやってることですから」といいながら黙認するぐらいの度量の広さはできれば見せてほしいものである。

 

大学側が強調しなくたって早稲田には様々な考え方、見方を持った学生・教職員がいる。その現れ、価値観は様々であって、みんながみんな飛び抜けて「変」なわけではないし、変で有りたいわけでもない。ただ本当にいろいろな人がいるということ、彼らがそれぞれ多くの面で違うにもかかわらず同じ学び舎に通い、「早稲田」という共通世界を作っていることが「早稲田らしさ」の本義であるように思うのだ。「早稲田らしさ」は学生だけのものでもないし、教職員だけのものでも、校友だけのものでも、大学当局だけのものでもない。ましてやダサい標語でくくられるほど不格好なものでもない。この点を勘違いして、勝手に「早稲田らしさ」を押し付けようとしてくる様々な言説には学生のものであろうと大学側のものであろうと、「異和感」しか感じない。